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賛否があった「下北線路街」開発秘話。小田急が気づいたまちづくりで大切なこと

 古着屋やライブハウス、劇場などが多く密集し、サブカルチャーの聖地として名高い下北沢。そんな下北沢の街並みが今、めまぐるしく変化している。  小田急線東北沢駅から世田谷代田駅間の全長1.7kmに及ぶ「下北線路街」には、宿泊施設や複合商業施設、コミュニティスペースといったスポットが続々とオープンし、新たなまちづくりが着々と進んでいるのだ。
橋本崇

小田急電鉄株式会社 まちづくり事業本部 エリア事業創造部 課長の橋本崇さん

 今回は、下北沢の再開発プロジェクトに携わる小田急電鉄株式会社 まちづくり事業本部 エリア事業創造部で課長を務める橋本崇さんに、下北線路街が生まれた背景や変貌を遂げる下北沢の街の未来について話を聞いた。

再開発の構想を練るために、地域住民との対話を重視した

橋本崇 橋本さんは2017年7月に異動となり、下北沢地区の担当へと着任する。当時は更地の状態で「計画が全く進んでいなかった」と当時を振り返る。 「この頃は複々線化工事をしていた兼ね合いもあり、小田急の社員と地域住民との対話をする機会がなかったんです。そこで、私がまず行なったのは下北沢という“街”を知ろうとすることでした。世田谷区が主催する『北沢デザイン会議』や『北沢PR戦略会議』といった、まちづくりに関心がある人が集うイベントに出向き、さまざまな意見を聞いて回りました」  今まで小田急の担当者が顔を出していない場所に、人知れず飛び込んでいった橋本さん。当初は「なんでいまさら来るんだ」と怒られもしたそうだが、同時に「よくこの場に来てくれた」と言ってくれる人が多かったことに驚いたそうだ。 「イベントに出席を続けていくなかで、次第に小田急と下北沢の住民とのスタンスがつかめてきました。小田急が主体となって再開発を決めていってしまうのではなく、『地域がやりたいことを実現できるよう支援する』ことが大切だというのがわかってきたんです。  半年かけて住民のいろいろな意見や話を聞いていくと、下北沢には面白いアイデアを持っている人がたくさんいることに気づいた。こうした声を可視化することができれば、下北沢の再開発に愛着を持ってくれる人が増えるのではと考えました」

「3割の余白」を残す支援型開発

 さらに橋本さんは、下北沢の街を理解するために周辺マップを全て頭に入れ、現地に何度も足を運んだ。  地元の住民にとって、どんな再開発プロジェクトがいいのか。徹底的に考え抜いたそうだ。  そしてたどり着いたのは、地域の店舗や事業者などのプレイヤーとともにまちづくりを手がける「支援型開発」だった。 「小田急が再開発プロジェクトを一挙に行うのではなく、全体の7割は小田急、残りの3割は地域プレイヤーが関われるための余白を残しておくことを心がけました。こうすることで、プレイヤーごとの特色が引き立ちますし、主体的に運営や企画をしてもらうことにもつながります。プロジェクトをカスタマイズする余地があれば、信頼関係も築きやすくなるわけです。  さらに、小田急側が一方的に支援するのではなく、リスクもシェアするという立ち位置を定めることで、膝を突き合わせたまちづくりができると思いました」
下北線路街

小田急線東北沢駅から世田谷代田駅間の全長1.7kmに及ぶ「下北線路街」のマップ

 かくして、2019年に全長1.7kmに連なる線路跡地「下北線路街」の開発が始まった。全部で13ものブロックに分け、新たなまちづくりを進める壮大なプロジェクト。  ビル型商業施設の開発とは異なり、地域に根ざした形でエリアごとに整備していく下北線路街はどこから着手したのだろうか。 「世田谷区の実施する工事の状況を鑑みて、まずは世田谷代田駅のエリアからスタートしました。下北線路街の開発におけるコンセプトとして『であう』『まじわる』『うまれる』を掲げ、まちづくりを進めてきたんです。地域の活性化や来街者の回遊など、街の魅力を高めるのも大切ですが、一番は地域住民に愛され、暮らしに彩りを持たせることができるかが肝だと感じていました。  開発当時から、働き方の多様化が叫ばれていたこともあり、『いずれは電車に乗る機会が減るのでは』という見立てをしていたんです。“職住遊”が融合し、自宅から徒歩20分圏内の生活をもっと豊かにすることを目標に取り組んできました」
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「下北線路街 空き地」の開業がひとつの転機に
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1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

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