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ドラマ『新聞記者』で『東京新聞』望月記者を“舞い上がらせた”私たちの責任

日本アカデミー賞を受賞した高揚感

『週刊文春』(2月3日号)で、ドラマ「新聞記者」による「悪質かいざん」があったと報じられた

『週刊文春』(2月3日号)で、ドラマ「新聞記者」による「悪質かいざん」があったと報じられた

 この文春の記事は大きな反響を呼んでいるようです。特にドラマの主人公・米倉涼子さんのモデルになったと見られる『東京新聞』の望月衣塑子記者に関する記述が、さまざまな論評の的になっています。そこで望月さんについて私の考えを明らかにします。  望月さんは菅官房長官(当時)の記者会見で果敢に突っ込んだことで有名になりました。質問の仕方に疑問を呈する声もありましたが、官邸記者クラブが沈黙する中、一人で攻めの質問をするのは勇気のいることで、そこの評価は揺るがないと思います。河村プロデューサーはそこに目を付けたのでしょうか。望月さんの著書『新聞記者』を原作に映画を制作し、これが日本アカデミー賞を受賞しました。河村プロデューサーと並んでレッドカーペットを歩む望月さんの姿は女優のように見えました。  そういう状況でテンションが上がってしまうのは仕方のないことだと思います。そして偶然にも受賞の数日後、赤木雅子さんが夫の遺書を『週刊文春』で全文公開し、国と佐川宣寿元財務省理財局長を相手に裁判を起こしました。その数日後、望月さんから雅子さんに初めて手紙が届きました。そこには、河村プロデューサーからの手紙も同封されていました。  これは、アカデミー賞受賞の高揚感の中で起きたことなのだろうと推察します。「映画の次はドラマ」と河村プロデューサーが考え、そこに望月さんも協力したのでしょう。そこまではある程度理解できます。河村プロデューサーは望月さんがドラマの「協力者」であることを認めています。  私も途中までは、ドラマにしてもらうことで赤木雅子さんと俊夫さんに起きたことを多くの方に知ってもらう効果があるのではないかと考えていました。それに私は、望月さんにある種の“恩義”を感じてもいたのです。

私にも望月記者を“もてはやした”責任がある

2019年5月、大阪での講演で望月記者(右)と語る筆者(左)。中央は内田樹氏

2019年5月、大阪での講演で望月記者(右)と語る筆者(左)。中央は内田樹氏

 私はNHKの記者だった2018(平成30)年5月、森友事件の取材の渦中で「記者職から外す」と通告され、NHKを辞めることを決意しました。その時、望月さんは自分のことのように憤り、「『日刊ゲンダイ』の記者を知っているから(そこで書いてもらう)」と言ってくれました。  実際に、その後『日刊ゲンダイ』から連絡がありました。その時、森友事件を最初に告発した大阪府豊中市の木村真市議が私に起きたことをフェイスブックに書いてくれていたので、そのことを伝えました。そして翌日『日刊ゲンダイ』に記事が出ました。  退職を決意した私が転職先を見つけあぐねている時、望月さんは「『東京新聞』に来ませんか?」と言って、実際に上司に相談してくれていたようです。実現はしませんでしたが、苦境にある時に手を差し伸べてもらった温情はとてもありがたく感じました。望月さんは朗らかでさっぱりして、もともと「いい人」なのだと今でも思っています。  望月さんは官房長官会見で名をあげ、映画の成功でちょっと“舞い上がって”しまったのだろうと思います。それは望月さんだけの責任ではなく、周りで望月さんを“もてはやした”人たちの責任でもあるでしょう。  私もその一人です。2019(令和元)年、望月さんが『「安倍晋三」大研究』(ベストセラーズ)という著書を出した時、私は本のキャンペーンの講演会に招かれて望月さんと対談しています。一緒にテレビ番組に出たこともあります。私も責任があるのです。
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答えをはぐらかす『東京新聞』
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