自分がやるべきことは“残す”
写真は『VOICE 香港 2019』より
香港デモは、日本でもたびたび報道されていた。とはいえ、自分自身がレンズを通して見た真実の姿を発信するべく、2019年12月、友人や知人のジャーナリストと共同で写真展「#まずは知るだけでいい」を開催した。5日間で来場者2000人以上が集まり大きな反響を得た。
「社会問題にかんして、押し付けてしまうと人は引いてしまうので、
まずは何が起きているのか知ってもらい、あとは自分で考えてもらう。その“きっかけ”になればいいと思って」
キセキさんは、自分がやるべき意味を見出していた。
「たまたま自分は香港デモに居合わせたので、自分事として捉えられるようになったけど、当事者ではない人たちが、ずっと考え続けられるのかといえば、そうではないと思うんです。時が経てば、だんだん記憶から薄れてしまう。せめて、そこにいた(半分)当事者として、
私の記憶と記録、見てきものをそのまま“残す”ことが大事なのかなって」
デモ取材中の忘れられない出来事があるという。湾仔(ワンチャイ)という場所で、若者が5〜6人の警察に囲まれていた。
「逮捕される瞬間、私の腕をつかんで『助けて!』と叫んだ。ただ、どうすることもできなくて、彼はそのまま殴られていた。“
私は無力だな”って。自分には写真を撮って日本に発信することしかできないけど、それが何の助けになるのか、それで何が変わるのか、ということも考えていました。写真集を出すこともそうです。
ただ、
写真は情報量が少ないぶん、その先にある可能性は大きいと思っていて。音楽や言葉などを含めた映像に比べると、1枚の写真って伝わりにくいじゃないですか。だからこそ、好き嫌いはもちろん、10人いたら10人が違った感想。それぞれで捉え方も異なる。
なので、
“伝えたい”というよりも“残したい”。それを見て、もしも興味を抱いた人がいるならば、香港で起きた出来事について調べてみてもらえたらうれしいですね」
キセキさんは、写真を“残す”ことで
自分自身もようやく次のステップに進めると考えた。
2020年2月に帰国。実際、香港での経験が成長につながったという。だが当然、これで終わりではない。さっそく待ち受けていたのはコロナ禍だ。
「
帰国したばかりで仕事もない、友達とも会えない、香港にも戻れない。音楽業界は大打撃を受けて現場がなくなっていたので。ある意味、いちばん地獄だったかもしれない。
緊急事態宣言や外出自粛など、移動の制限もあるなかで今の自分にできることは何だろうって。再び悩みました。幼少期は海外の各地で過ごし、私には田舎(故郷)と呼べる場所がなかったけど、自分の人格がつくられたのは東京。それで、改めて“東京”と向き合いながら撮影してみようと思って」
現在は、“東京”をテーマに撮影しているんだとか。一難去ってまた一難。「
ずっと激動なのが、私の人生なのかな……」。キセキさんはため息とも笑いともつかない声を発した。
「むしろ、それでいいのかなって。写真には、ぜんぶ自分の心が写っていると思う。悩み続けるしかない。穏やかに過ごしてしまうと、おそらく何も撮れなくなってしまうので」
2021年末には2週間の隔離期間を経て、再び香港に足を運んだ。
「建物が建て直されていて、工事が進んで、昔ながらのものが新しくなっていました。香港は汚い部分も魅力のひとつなので、少し寂しい気持ちにもなりました。街にデモの痕跡はなくなっており、コロナ明けに観光客を迎え入れられるように準備しているのかもしれない。
このまま10年連続で撮り続けて、香港の写真集をもう一冊出したいですね」
キセキさんにとって、香港を撮ることは「
自分の足元を見つめることだった」と話す。
写真家・カメラマンに限らず、一般企業の会社員においても、自分とは何なのか、仕事内容やその意味に疑問を覚えることもあるはずだ。それは、もしかすると働いている以上は永遠に向き合う必要がある悩み。自分を客観視できる機会や場所は、そう多くはない。
だが、立ち止まってみるのも勇気。そこで自分のルーツを辿ってみれば、意外なところにヒントが転がっているのかもしれない。
<取材・文・撮影/藤井厚年>
明治大学商学部卒業後、金融機関を経て、渋谷系ファッション雑誌『men’s egg』編集部員に。その後はフリーランスとして様々な雑誌や書籍・ムック・Webメディアで経験を積み、現在は紙・Webを問わない“二刀流”の編集記者。若者カルチャーから社会問題、芸能人などのエンタメ系まで幅広く取材する。X(旧Twitter):
@FujiiAtsutoshi