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「クリミア半島はソ連からウクライナへのプレゼント」というウソ

フルシチョフはウクライナ出身ではない

 ところで、そのフルシチョフだが、彼はウクライナ出身ではない。彼はロシア帝国のクルスク県(現在:ロシア連邦クルスク州)に生まれたロシア人である。彼はスターリンに信頼されていたため出世し、1938年から1949年までウクライナ共産党(ソ連共産党ウクライナ支部)の第一書記(トップ)を務めた。長くウクライナにいたため、ウクライナ出身と勘違いされることがあるが、彼はロシア出身である。  また、彼はウクライナにいた頃、ウクライナに対して特別な思いを持っていた訳ではない。フルシチョフはウクライナにおけるスターリンの抑圧を従順に実行していた。独ソ戦争後、彼はウクライナ独立を目指していた民族運動の残虐な弾圧に加担し、慈悲を見せた兆しはなかった。独立運動家を町の広場で公開処刑すべきだと主張していた。ウクライナにいた頃に、確かに彼は多くのウクライナ出身の側近を持つことになったが、この人達は民族的にウクライナ人だったとはいえ、ウクライナに対する何の思い執着もない共産主義者だった。つまり、フルシチョフはウクライナ人でもなければ、ウクライナに対して特別な感情を持っていた訳でもない。

クリミアがウクライナに移譲された本当の理由

 さて、クリミアはプレゼント、贈り物だったという意味不明なことを言う人の話に戻ろう。そもそも領土についてプレゼントという言葉は使えるかどうか、という問題は置いといて、恐らくそういう人達はクリミア移譲はソ連による優遇だったと言いたいのだと思われるが、もちろんそんなことはない。むしろ逆だ。  よくクリミアはロシアとウクライナの長年の友好を記念して移譲されたと言われている。確かにソ連の公式見解はそうであった。しかし、これは後付けの理由で、実際にクリミアの移譲をソ連の指導層が検討していた時、当然このような甘ったるい理由などなかった。  実際の理由は経済産業である。ソ連幹部が決定したクリミア移譲の正式な理由は「経済の統一性、地理的な近さと、密接な産業的な、文化的な繋がりを考慮して」ということだった。  当時のクリミア半島は荒廃していた。1944年にはスターリンの命令によってクリミア先住民であるクリミアタタール人や他の長年クリミアに住んでいた民族は半島から追放された。彼らはクリミアの経済や産業を担っていたので追放後、クリミア経済が崩壊した。  代わりに半島に来たロシア人の入植者は新しい環境に慣れずに、発展に貢献できなかった。新たに入ってきたロシア人は、「なぜこんなところに行かされたのか」と不満を漏らしていたとすら言われている。ソ連幹部は崩壊したクリミア半島の経済再生に悩まされた。そこで、クリミアの再生をウクライナに任せたらどうかという案が出てきて、最終的に採決された。  クリミア半島は地理的にウクライナ本土と隣接しており、インフラの面でもウクライナのインフラ体系の一部である。また産業や経済や物流など、すべての分野においても同様にウクライナの一部である。だから、クリミアを直接モスクワが管理するより、ウクライナに任せた方が、効率がいい。  実際にウクライナ移譲後、クリミア再生が実現された。また、資源の面では、クリミア半島は資源不足で自立できないので、水道水やガス、電気などもすべてがウクライナ本土から調達されている。だからクリミアの移譲は、ウクライナへの優遇ではなく、地理、経済、産業、資源という事情に基づいてなされた極めて自然で合理的な判断である。
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クリミア半島は元々ロシアの領土だったのか
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ウクライナ人だから気づいた 日本の危機

沖縄は第二のクリミアになりかねない。「北方領土をどうしたら取り戻せるか」はウクライナに学べ!

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