更新日:2023年02月21日 17:44
スポーツ

天才レスラー武藤敬司の光と影を川田利明が激白「レスラーだけやっておけば」

経営者・武藤を“四天王”川田が語る

武藤敬司の引退試合が2023年2月21日に行われる。世界を股にかけて活躍した天才レスラーが躍動する姿もついに見納めということで、一抹の寂しさを感じてしまう。 デビュー以来、新日本プロレスのスーパースターとして君臨していた武藤は、2002年2月に全日本プロレスに移籍。当時の全日本は“崖っぷち”だった。2000年、退団した三沢光晴に大量の選手が追随し、同年7月にプロレスリング・ノアを旗揚げ。全日本に残された所属選手は川田利明、渕正信、太陽ケアの3人だけで、フリー、外国人選手を起用して興行を続けるなか、武藤の移籍は、全日本が息を吹き返すきっかけになった。 さて、武藤の経営者としての手腕はどうだったのか。その顔を知る全日本プロレス“四天王”のひとり川田利明が口を開いた。 (本記事は宝島プロレス取材班著『証言 武藤敬司 平成プロレスを支配した「天才レスラー」の光と影』より、抜粋したものです)

新日本よりギャラが安い理由は…

川田利明

川田利明氏

2003年、馬場元子前社長(当時)は武藤へ全日本の発行株式の約75%を譲渡したことを認めた。これにより、武藤は筆頭株主となり、オーナー兼社長に。一方、川田は2005年、「無所属宣言」を行い、事実上のフリー選手となった。ノア勢との分裂時に残留し、「全日本の顔」を張っていた川田がまさかの退団を決断した理由は、金銭問題が絡んでいる。ジャイアント馬場時代の全日本は、選手のギャラが新日本よりも安いとされていたが、一般のサラリーマンのように本人、会社の労使双方が折半して支払う「社会保険料」制度を採用していた。 「全日本という会社は、ずっと(社会保険料の)半分を支払ってくれていた。だから、馬場さんという人は経営者としてしっかりしていたんだよ。経営なんて誰でもできるだろうと思って、ノアに出て行った人たちも、経営に関してはもうどうしようもない状態に最後はなったわけでしょ。昔の全日本はお客さんがあまり入らない時期でも、ちゃんと保険は支払っていてくれたわけで、いかに馬場さんが経営者としてうまくやってきたかということ。しっかりしていたよね。安いギャラでも、馬場さんの場合はどんな時でも欠かしたことがない。ましてや、厚生年金とかでも会社にちゃんとしたシステムをつくってくれていたしね。(その制度でいま助けられている元選手も)たぶん、いっぱいいると思う」
次のページ
武藤体制になって生じた“異変”とは
1
2
3
おすすめ記事