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ヤンキーたちが特攻服に「漢字」を好んで入れた意外な理由。「愛羅武勇」「夜露死苦」

100人対100人の抗争で敵と味方をひと目で判別「喧嘩の効率化」

白バイ

※写真はイメージです

 1980年代は暴走族同士の対立も珍しくなく、神奈川の暴走族と東京の暴走族は頻繁に抗争を繰り返していました。びっくりするのは、喧嘩に参加している暴走族も100人対100人というような凄まじい人数で、まさに“抗争”と呼べるものでした。  岩橋氏がこう言います。 「100人対100人という大勢の男たちが一気に喧嘩をすると、興奮状態のなかで敵も味方も区別がつかず、気がついたら味方を殴っていたなんてこともしばしばでした。  神奈川と対立している東京の暴走族のチーム名は英語のところが多かった。そこで神奈川のチームでは、英語のチーム名でも漢字変換して特攻服に刺繍し、敵と味方を区別しやすくしたという説があります」  要するに、神奈川のチームからすれば、「特攻服の背中に英語のチーム名が書いてあれば敵なので、すぐに殴っていい」ということになる。まさに「喧嘩の効率化」です。

「横浜銀蝿」の影響で大流行

横浜銀蝿

画像は、THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL「横浜銀蝿全曲集〜ツッパリHigh School Rock’n Roll〜」のジャケット写真

 とはいえ、SNSがなかった頃の話です。神奈川の暴走族がチーム名を漢字に変換することだけでは全国的に漢字変換カルチャーを流行させる(今で言う“バズる”)のは難しかったと思います。それをメジャー化させたのが「横浜銀蝿」の存在です。  正式名としては「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」ですが、横浜銀蝿を知らない方にざっくりと説明すると、ヤンキーコスチュームで決めた4人の男たちのロックンロールバンドです。  もしかすると、「氣志團」のような見た目のグループといえばわかりやすいでしょうか。  彼らは1980年代に「ツッパリHigh School Rock’n Roll」という大ヒットソングを筆頭に、ヤンキーの気持ちをロックンロールで歌いました。ヤンキー界では「矢沢永吉」さんの次に知らない人はいないというミュージシャンです(※個人の感想です)。 「彼らのジャケットや曲名、歌詞には『仏恥義理(ブッチギリ)』『鞨徒毘(カットビ)』『夜露死苦(ヨロシク)』『愛羅武勇(アイラブユー)』など、英語以外にも当時のヤンキーたちが使っていた言葉が漢字変換して使われており、その独特な書体も含めて当時の不良や暴走族の間で大流行したのです」
漢字

チーム名を漢字で表記するのが全国的に流行した。写真は、雑誌『ティーンズロード』より

 それがきっかけとなり、全国の暴走族が自分のチーム名を英語から漢字の表記に変換したというのが諸説あるなかのひとつだそうです。たとえば、 「ブラックエンペラー=武羅悪区江無屁羅悪」 「スペクター=寿辺苦絶悪」 「アーリーキャッツ=阿李猫達」 「シルク=紫瑠狂」 「マリア=魔麗夜」  という感じです。自分たちのチーム名を漢字でいかにカッコよく表現するかを必死に考え、漢字の意味を勉強していた……そう考えると、ある意味で感心してしまうのは私だけでしょうか。
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不良が全国的に「ヤンキー」と呼ばれるようになったワケ
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伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』をはじめ、改造車だけを扱うクルマ雑誌『VIP club』や特攻服カタログ『BAMBO』、渋谷系ファッション雑誌『MEN’S KNUCKLE』など、数々の不良系雑誌の編集長を務めて社会現象を起こす。現在は、大洋図書発行の実話誌『実話ナックルズ』のYouTubeチャンネル「ナックルズTV」や、ギャル男雑誌『men’s egg』をWebで復活させたYouTubeチャンネル「men’s egg 公式」のプロデューサーとして活躍中。

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