「物心がついたのは東京03のコント」人気芸人・吉住が語る、初舞台で痛感した怖さとは
『女芸人No.1決定戦 THE W』優勝をきっかけに、一躍世に出た吉住さん。
異様なほど役に入るひとり芝居と、その独創的なセンスのコントが魅力のピン芸人だが、芸人として初めて舞台にたったときはコンビだったという。
本稿は『First Stage 芸人たちの“初舞台”』(扶桑社刊)より一部抜粋したものとなっています。
――お笑いは子供のころから好きでしたか?
吉住 私はバラエティは観てました。ネタ番組はあまり。兄のほうが好きでよく観てましたね。
兄は漫才好きだったんですが、私は漫才のテンポについていけなくて……。そのころはネタというものにはあまり興味がなかったかもしれません。
コントが好きになったのは高2のころに『エンタの神様』(日本テレビ)で東京03さんのコントを観てからです。
「陰口を言うネタ」だったんですけど、「こんなおもしろいものがあるんだ!」って衝撃でした。
テンポが速すぎるということもないし、画で見せてくれるというのもあって、私にはコントというものが新鮮に映りました。それでやってみたいかもって。
――いきなり「自分もコントやりたい!」となるのがおもしろいですね。まずはお笑いファンになりそうですけど。
吉住 流されるまま生きてきた自分が、初めて興味を持って「やりたいかも」と思ったのがコントだったんです。強烈に何かを好きになる経験がそれまでなかったんです。
部活でキャプテンになったのも、辞める理由がなくてダラダラ続けた結果であって、積極的だったからでもないですし。
――ラジオ番組『吉住の聞かん坊な煩悩ガール』(ラジオアプリGERA)での「学生時代の記憶がほとんどない」という話に驚いたんですが、今の話でなんとなく腑に落ちました。記憶がないのは、東京03に出会って初めて、吉住さんの自我が芽生えたからなのかな、と(笑)。
吉住 そうかもしれない……(笑)。あそこで初めて物心がついて、自分の好きなものがわかるようになりましたからね。
でも、そういえば『名探偵コナン』と、堂本剛さんが出てたドラマ『金田一少年の事件簿』(ともに日本テレビ)は昔から大好きでした。
推理小説も好きで、特に初期のころはネタの中で人がよく亡くなってて。ミステリーを好んでたので、作中で人が亡くなることを不思議に思ってなくて。
養成所の講師の方に「人は殺さないほうがいい」と言われて、気をつけるようになりました。
養成所では「自分が知らないことは書けない」と、よく言われたんですけど、その意味が今ならよくわかります。
『THE W』でやった『女審判』のネタも、結局(ソフトバンク)ホークスが好きでファンクラブに入ってたからできたんですよ。
そういう意味では、経験とか知識を増やせばネタの幅も広がるはずなので、去年の自粛期間中はたくさん映画を観ました。1日6本、合計300本くらい観たんですけど、ほとんど何も覚えてないです。
――そんなに観たのにもったいないですね……(苦笑)。でも、野球は実際にお好きなんですね。
吉住 はい。北九州出身なんですけど、小学校のころホークスのファンクラブに入ってました。それも兄の影響ですけどね。球場にもよく観に行ってて、なんとなく審判の人って気になってたんですよね。
気になる単語を書き留めておくノートがあってけっこう溜まってるんですけど、読み返すと全部に「審判」って書いてあって。
あるときふと「審判の人って大きい動きで元気よく『アウトー!』とかやってるけど、家に帰ったら反抗期の息子がいたりするのかなぁ」とか考え始めて。
「芸人は子供が芸人になりたがったら『反対する』ってあるあるだけど、審判の人も自分の子供が審判になるのは嫌なのかな」とか考えてるうちにできました。
東京03のコントで、物心がつく
知らないことはネタにできない
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