“ボキャブラ芸人”金谷ヒデユキの今。昔の自分は「尖っていたと思う」
番組終了からかれこれ20年以上が経過した、伝説の『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)。当時、“キャブラー”と呼ばれた芸人たちはテレビ、舞台、他ジャンル、はたまた芸能界以外の場所で現在も活躍中だ。
日刊SPA!では、ブームの渦中にいた芸人から『ボキャブラ天国』での忘れられない思い出、糧になった経験などを聞いていき、同番組が果たした功績を改めて振り返りたいと考えている。
今回、ご登場いただいたのは“地獄のスナフキン”こと、金谷ヒデユキ氏だ。ブーム以前、ブームの最中、番組が終了して現在に至るまでの出来事を、この機会にじっくり語っていただいた。やはり、彼の人生観に『ボキャブラ天国』は大きく関わっているようである。
――もともとは誰に憧れて芸人になったんでしょうか?
金谷ヒデユキ(以下、金谷):いろんな人が子どもの頃から好きでしたけど、ちゃんとプロとしてやろうと思ったのはビートたけしさんですね。中2の正月かな? 今でもやってる『爆笑ヒットパレード』(フジテレビ系)で初めて見たと思うんですけど、そこですね。ツービートとセントルイスがテレビに出てたんです。『THE MANZAI』(フジテレビ系)が始まる前でした。
――そのときはもう、ツービートにしか目が行かない感じ?
金谷:いや、そんなことはないです。他の人たちも面白いと思ってたんですけど、ツービートに対してだけは「なんか違うな」っていう。それまでも芸人さんは好きだったけど「自分がなるものじゃない」という感じではあって。だけど、たけしさんを見て……こういうことを言うとアレですけど、「ちゃんとした人でも芸人ができるんだ」って思ったんです。たけしさんからは知性を感じたので。それで、「自分もできるかもな」というふうに思いました。
――のちに、たけしさんのバックグラウンドは明かされていきますが、『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)などが始まっていくにつれて「やっぱり、たけしって頭いいんだな」という認識が広まっていきますよね。子供心に、そういうところに惹かれていった?
金谷:そうですね。
――そんな金谷さんが、漫才師ではなくギター芸人になったのはなぜでしょうか?
金谷:ビートたけしという人は好きで、お笑いをやろうとは思いましたけど、漫才に憧れたわけではなかったんですね。で、渡辺正行さんがやっているラ・ママ新人コント大会とかに一人で出たりしたんですけど。でも、一人でやっててもいまいちお客さんの反応がないので「何か武器が必要だな」と思い、「ギターが田舎にあったな」と思い出して。中2で挫折してギターはすぐやめちゃったんですけど、「あれを使ったらいいかも」と。所ジョージさんも好きだったので、その影響かもしれないですね。
ビートたけしを見て「自分にもできるかも」
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