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“ボキャブラ芸人”金谷ヒデユキの今。昔の自分は「尖っていたと思う」

コントと漫才が多いなか、空いていた「ピンの歌ネタ」の席

――その数年後、ボキャブラブームが到来します。金谷さんが『ボキャブラ天国』に出演するようになった経緯を教えてください。 金谷:最初は視聴者から投稿を募る形式だったあの番組が、いつからか「若手芸人を出そう」という方向になって、事務所にオファーがあったんじゃないですかね。 ――途中で番組のワンコーナーに芸人さんたちが出るようになりましたよね。そこに金谷さんは始めからお呼びがかかってたんですか?  金谷:だと思います。たぶん、「ピンで歌ネタの芸人がいる」ということで、枠を1個もらえたっていうことじゃないですかね。 ――なるほど。特に当時はショートコントをやるコンビが多かったし、コント師や漫才師がいるなかで「ギター芸人も入れとくか」と席を用意されたという。これは、金谷さんにとって作戦通りという感じでした? 金谷:そうですね。「シメシメ」的な感じはあったかもしれないです。

『ボキャブラ天国』では芸人の輪に入れず…

――その後、『ボキャブラ天国』は芸人さんを押し出すネタ番組へと変わっていきました。振り返ると、少し前にあった関東高田組が牽引したブームとボキャブラブームでは芸人さんたちのノリがかなり変わった気がします。 金谷:たしかに、そうですね。関東高田組は硬派な感じがあったし、『ボキャブラ天国』はテレビのバラエティっぽくみんな仲良くやってたから。『ボキャブラ天国』が始まる前、俺らがラ・ママに出ていた頃はみんなピリピリしてたし、爆笑問題も芸人の輪に入れない感じでいました。  その後、日曜昼に放送されてた『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』(テレビ朝日系)という番組に当時の若手はみんな集まって。その頃、僕は裏番組の『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』(フジテレビ系)のレギュラーだったので、向こうには出られなかったんです。で、みんなが『GAHAHAキング』で仲良くなった状態で『ボキャブラ天国』が始まったから、ボキャブラブームでは俺だけ芸人の輪に入れないみたいな(苦笑)。 ――エスカレーター式の私立校で、高校から金谷さんが入ってきたみたいな(笑)。 金谷:そうそう、そんな感じ! まだ、自分は人見知りも続いてる状態で。
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周りに馴染む爆笑問題・太田が羨ましかった
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