中日・谷繁元信が語る「初めて優勝の味を知った横浜’98年組との思い出」
―[俺の職場に天才はいらない]―
週刊SPA!連載<俺の職場に天才はいらない!>
谷繁元信監督兼選手の管理職的独り言
◆初めて優勝の味を知った横浜’98年組との思い出
交流戦の最中(5/28・ホークス戦)に、ぎっくり腰を患ってしまった。試合前のシートノックで違和感を覚えて、大丈夫かな?と思いながらスタメンで出たんだけど……。ヒットを打って一塁に走った時、強い痛みを感じてベンチに退いた。
一夜明けて、しばらくは試合に出られなさそうな感じだったので自分の選手登録を抹消した。プロである以上、健康管理は自己責任。監督兼選手となって2年目で自分を抹消したのは初めてのこと。「監督・谷繁」としては一日も早く「選手・谷繁」に戻ってきてほしいと思っている。(※編集部注:6/14・楽天戦で復帰)
さて、今回は少し趣向を変えて自分が初めて優勝を経験した’98年の横浜ベイスターズ(当時)の優勝メンバーについて語ろうと思う。
あの頃オレは27、28歳。優勝した前年(’97年)、捕手出身の大矢明彦監督から徹底的にしごかれチームは2位に浮上して試合に勝つ喜びと、優勝に手が届かない悔しさを両方経験した。そして’98年、権藤博監督をして「もののけに取り憑かれているようだ――」とコメントした「マシンガン打線」と鉄壁の守備力でセ・リーグのペナントを制した。
当時のスタメンはほとんど不動でこんな感じ。一番から左と右が交互に並ぶジグザグ打線に加えて、自分を含めた内野手5人でゴールデン・グラブ賞を総ナメにした守備力は、我ながら鉄壁のチームだったと思う。マシンガン打線ばかりが注目されがちだけど、あの優勝の原動力のひとつは、間違いなく守備力だった。
◆タフな野球人が揃った’98年横浜優勝メンバー
当時のメンバーは、本当にタフな仲間が多かった。出場試合数で歴代11位(2413試合)の石井琢朗に、歴代37位(2063試合)の駒田徳広さん。歴代64位(1895試合)には昨年からファームの監督を任せている佐伯貴弘がいる。プロ野球の通算出場試合数100傑に4人もいるんだから、やっぱり’98年のチームは特別なチームだった。
よきチームメイトの存在は、よきライバルとも言える。ポジションは違っても、あいつが練習しているからオレもやらなきゃなって自発的な気持ちが芽生える。そういう気持ちにさせてくれるのは監督やコーチじゃなく、実はチームメイトの存在がとても大きいんだ。
そういえば同い年の石井琢朗とは、’98年の日本一もそうだけど、彼がまだ投手だった頃、お互いが高卒1年目のルーキーイヤーにバッテリーを組んでプロ初勝利(これが彼の唯一の勝利)を記録したのも今となっては、いい思い出だよ。
<’98年横浜ベイスターズ優勝メンバー>
(1)石井琢朗[遊]☆(広島東洋カープ・コーチ)
(2)波留敏夫[中](中日ドラゴンズ・コーチ)
(3)鈴木尚典[左](NPO法人ベイスターズ・ベイスボールアカデミー)
(4)ロバート・ローズ[二]☆(MLBレンジャーズ傘下打撃コーチ)
(5)駒田徳広[一]☆(解説者)
(6)佐伯貴弘[右](中日ドラゴンズ2軍監督)
(7)谷繁元信[捕]☆(中日ドラゴンズ監督兼選手)
(8)進藤達哉[三]☆(横浜DeNAベイスターズ・ヘッドコーチ)
☆…’98年ゴールデン・グラブ賞受賞選手
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