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谷村新司さんが「大衆から愛され続けた要因」。“孤独”を歌い続けた男の「偉大な功績」を振り返る

文/椎名基樹

偉大な功績を残した谷村新司さんの訃報に思うこと

谷村新司さん

「谷村新司 スタッフ公式」Xアカウントより(以下同)

 谷村新司の突然の訃報に驚いた。享年74歳。早すぎるなぁ。谷村新司ほどの功績を残したら、あと10年ぐらい人生の果実を味わう時間があったら最高なのになぁ……なんてことを凡人の私は思った。  彼が作詞作曲した『いい日旅立ち』は多くの日本人に、『昴』に至っては多くのアジア人に、永遠に歌い継がれるアンセムとして大衆の中に残っていくに違いない。これほどクリエイター冥利に尽きる事はないだろう。音楽・歌ほど多くの人に愛される芸術はなく、音楽家そして詩人の才能に恵まれた人は羨ましいなぁと思う。

ラジオパーソナリティとしても活躍

 谷村新司が作った『昴』はとても格調高い。しかし、谷村はただ権威的なだけの単純な人ではなかった。高雅な『昴』を作り上げた一方で、ラジオパーソナリティとしては俗悪な下ネタで大衆を楽しませた。  1973年から1978年まで、ばんばひろふみとともにパーソナリティーを務めた、文化放送の『セイ!ヤング』では、明け透けな下ネタで、当時の若者から絶大な人気を誇った。2人のトークは、時に自分の妻との夜の営みをも笑いのネタにしたらしい。  ラジオパーソナリティとして人気になったのは、アリスとしてブレイク前であり、当時の谷村新司は世間的にはほぼ無名。得体の知れないアンちゃんが、非常に不謹慎なことを言い放っていた状況だったようだ。青田買いする形で、まだ無名な人間を世に送り出すことが、90年代くらいまでのラジオの文化だった。  そしてこのキャリアがあることが、後に大先生になっても、谷村新司が親しみぶかく大衆から愛された要因になっていたように思える。
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ビニ本を5千冊を所蔵していた一面も
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1968年生まれ。構成作家。『電気グルーヴのオールナイトニッポン』をはじめ『ピエール瀧のしょんないTV』などを担当。週刊SPA!にて読者投稿コーナー『バカはサイレンで泣く』、KAMINOGEにて『自己投影観戦記~できれば強くなりたかった~』を連載中。ツイッター @mo_shiina

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