更新日:2024年02月05日 08:58
エンタメ

施設育ち、毒親からの逃亡を経てセクシー女優に。”パチンコ系インフルエンサー”の壮絶半生

施設で育ち、美容師からAVの道へ

宣材写真1

2023年3月にセクシー女優を引退し、パチンコ系インフルエンサーに転身した若月まりあ

 パチンコホールの広告宣伝に関する運用ルールが大きく緩和され1年。今、ホールに来店する「演者」の需要が爆発的に伸びている。パチンコホールが運用しているSNSやLINEを見れば、「○月○日、〇〇さん、来店取材!」という宣伝文句を容易に見つけられるだろう。  しかしその演者もピンキリである。長年、パチンコ攻略誌で活躍してきた往年の名プレイヤーもいれば、一度動画をアップすれば何十万再生も回る今をときめくYouTuberもいる一方、ガールズバーで声を掛けられお小遣い欲しさに始めた「そこらへんの可愛い女のコ」や、やたらパチンコに詳しいブロガーが個人発信で演者まがいの活動をしていたりもする。  ホールや客の双方から賛否両論はあれど、今のパチンコ業界からは切っても切り離せない「演者」。彼ら彼女らは、なぜパチンコ演者になったのかーー(※「演者」とは、パチンコホールで活動する、ライターやタレント、YouTuberやインフルエンサーを幅広く指す言葉)  若月まりあ。31歳。職業、タレント・モデル。主な仕事は、集客のためホールの広告塔となり、パチンコ・パチスロの楽しさを、SNSを通して伝えたり、来店してくれたファンとの交流を行ったりすること。この仕事を始めたのは今年の9月、わずか4カ月前だ。そんな彼女は、1年前まで、出演本数500本を超えるセクシー女優だった。

出生時は、へその緒がついたまま放置された

 彼女は2歳か18歳まで児童養護施設で暮らした。  彼女自身はもちろん記憶にないが、彼女は、自宅でへその緒が付いたままの状態で救助されたと聞かされている。  生まれて2歳までは母親と祖父との三人暮らし。だけど母親は彼女の育児を完全に放棄していた。育ててくれていた祖父も大病を患い、結局、児童相談所の判断で施設への入所が決まった。18歳になると、児童養護施設の入所者は、自立か自立援助ホーム(働くことを選択した15歳~22歳までの青少年の自立を支援する施設)での生活の選択を迫られる。  彼女は自立の道を選び、美容師になることを決めた。それは、彼女を育ててくれた施設へ恩返しをしたいという思いからだった。施設に暮らす子どもたちは美容室へは通えない。施設のスタッフが散髪をする。でも思春期の真っただ中。「小悪魔ageha」のモデルたちの髪型に憧れた。髪を染めてもみたかったし、巻いてもみたかったけどずっと叶わなかった。だからこそ、妹や弟たちには好きな髪型をして欲しい。自分が美容師になって、ボランティアで髪を切ってあげよう。彼女は、それが自分に出来る恩返しだと思った。  美容専門学校は2年。学費は総額で400万を超えたが、彼女はその全額を自分で支払った。 「奨学金ももらえたけど、それ以外は、親戚からもらったお年玉や施設から月々支給されるお小遣い(当時は高校生で5500円)の貯金、足りない分は寿司屋やファミレスでのアルバイトで稼ぎました」  そして20歳になり、美容学校を卒業し、彼女は大手美容チェーンに就職した。しかしそこから彼女の人生は急転する。
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18年ぶりに再会した母親に 「400万円出せ」と言われ……
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フリーライター twitter:@yuu_adachi

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