スポーツ

福留孝介、45歳まで現役を続けられたのは「アメリカ野球を経験したから」5年間の苦悩も赤裸々告白

妻からは「性格が丸くなった」

サムライの言球自分の意思で変えられないことに対していつまでも抗っていても意味はない。ある意味での達観が重要になるのかもしれない。渡米後、福留は「性格が丸くなった」と妻に言われたという。「自分では丸くなったという自覚はないんですけど」と福留は笑った。 「日本にいるときはある程度のことは自分一人でできました。でもアメリカでは通訳や練習パートナーもそうだし、周りのサポートがなければ何もできない。日本での当たり前がアメリカでは通用しない。そんなことに気づかされました」 アメリカでの2年目、3年目も、日本のような成績を残すことはできなかった。春先は成績がいいのに、夏場になるとベンチを温める試合が増えていく。与えられた環境のもとで自分にできることは精いっぱい取り組んだ。それでも結果が出ないままカブスでの4年契約の最終年を迎えた。

メジャー4年目、自らの意思で決めた移籍

しかしシーズン途中、自らの意思でクリーブランド・インディアンスに移籍を決める。 「試合に出る機会が少しでも欲しい。そんな思いから自分で判断しました。そして、その年のオフに(シカゴ・)ホワイトソックスと契約したものの故障もあって、思うような成績を残せませんでした……」 4年目終了後に日本球界へ復帰することも可能だった。しかし、本人がそれを拒んだ。 「日本に戻るという選択肢は自分の中にはなかったですね。ホワイトソックスでは脇腹を故障して、シーズン途中にリリースされてしまいました。それでも、まだ日本に戻るつもりはありませんでした」 シカゴに家を購入し、グリーンカードも取得した。それは、腰を据えて挑戦する覚悟の表れでもあった。
次のページ
「もっと若い頃に…」35歳で経験したマイナー生活
1
2
3
1970年、東京都生まれ。出版社勤務を経てノンフィクションライターに。著書に『詰むや、詰まざるや〜森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)など多数

記事一覧へ
おすすめ記事
ハッシュタグ