「家族ファースト」がモットー

──外見も変わりましたが、開業前は苦労したようですね。
稲野辺:麻布の動物病院で雇われ院長を務めていた1年ほど前は、1週間休みナシも珍しくなく、昼夜を問わず働いて手取りで月収30万円台……。
実は、獣医は激務なわりに薄給なんです。プライベートもなく、その日暮らしみたいなものでした。院長の肩書があっても、独立はおろか、結婚も半ば諦めていたほど。
特に救急医は激務を極めるのも事実。患者の9割以上が初診な上、重症ばかりで亡くなってしまうことも多く、メンタルを削られてしまう。 当然、なりたいという人はあまりいません。
さらにウチのようにエキゾチックアニマルを診る病院には、人材が集まりにくい。獣医は離職率がすごく高く、人間の医療業界と同様に、獣医業界も深刻な人手不足なんです。
──’23年には犬の飼育頭数の減少が病院経営に影を落とし、新患数が前年割れという病院も現れました。一方で、新規開業数は右肩上がりで、競争は激化するばかりです。
稲野辺:そうですね。だから、SNSでファンをつくることが病院経営的にも重要なんです。実際、ウチが開業してから3か月くらいは、半分以上がSNSを見て来院した方。
それだけでなく、ウチはSNSを見て働きたいと応募してきた人がスタッフに多い。発信している動画はスタッフと2人で毎日、撮影、編集まで行ってます。
──働きやすそうな職場ですね。
稲野辺:ウチのモットーは「家族ファースト」。
まず家族を優先して大事にして、仕事はその次。プライベートも大事にするから、仕事も充実する。私ですか? 私は「奥さん最優先」です!
──経営の武器となっているSNSですが、導入する動物病院は現在も少ないのでしょうか?
稲野辺:増えつつあるけれど、どれほど経営に寄与しているか。振り返れば、最初に勤めた動物病院はSNSでの発信はもちろん、顔出しで発言するのも禁止。副業なんてもってのほかです。
獣医には、私のように情報発信が得意なタイプや病院のデザインに長けた人など、本業の医療行為以外にビジネスに役立つ得意分野を持つ人は少なくない。
ところが、裁量権は各動物病院に委ねられ、勤務医の自由度は大きく制限されている実情は今もあまり変わらないのでは。
──業界の現状を反映してか、近年、フリーランスの獣医が増えるなど「新しい働き方」も登場してます。
稲野辺:実は私も大学卒業後、救急病院の勤務を経てフリーの獣医になってます。
勤務医は所属する病院の色に染まらないと働きにくいし、自由が利かないのも性に合わなかった。ただ当時、フリーなんて、ほとんどいませんでしたね。
──自由で独立心が旺盛。その分、組織の中に収まるのは窮屈かもしれませんね。
稲野辺:そうですね。基本自由なんで、今後も自分で試行錯誤していきたいですね。
【Yu Inanobe】
1991年、神奈川県生まれ。獣医師。港区動物救急医療センター芝アニマルクリニック院長。北里大学獣医学部(人獣共通感染症研究室)卒業後、千葉や横浜の救急動物病院に勤務。麻布ペットクリニックを経て独立開業し、現職。SNSのペット情報発信に注力し、YouTube、Instagram、TikTokのフォロワーは総計45万人超。獣医師業界のナンバーワン・インフルエンサー
<取材・文/齊藤武宏 撮影/武田敏将>