「私はサリン製造計画を知っていた」――上祐史浩氏が語るオウム事件の真実(1)

‘12年、オウム特別指名手配中の3人が17年の逃亡の末に逮捕され、オウム事件に一つの区切りがつこうとしている。しかし、オウム事件の全貌は明らかにされていない。そんななか、教団内部を最も知る男、元最高幹部の上祐史浩氏がオウム事件の真実を綴った本「オウム事件 17年目の告白」が出版された。彼が語るオウム事件の真実とは何なのか。オウム問題を追及してきたジャーナリスト・有田芳生氏が迫る! ◆なぜ教団のために嘘の弁明を繰り返したのか 有田芳生氏,上祐史浩氏有田芳生(以下、有田):私はこれまで、メディアから対談の企画が持ち込まれても、すべて断ってきました。しかし今回、告白本を書かれたと聞き、目次を見て「ここまで書いたか」と、ぜひ話をしてみたいと思ったわけです。本を読むと、上祐さんは大量テロに関する麻原の教えを共有していたのだと、はっきりわかる。 上祐史浩(以下、上祐):はい。正確に言うと、教団を潰そうとする闇の権力と戦い、「真理の国」をつくるために大量破壊兵器の使用を含めた武力革命を行うというのが、麻原(※1)の預言の教義です。今思えば、これは被害妄想であり誇大妄想ですが、当時の私は妄信していた。ただ、人類改造計画とも言うべきものでしたので、地下鉄サリン事件のときには、「教団武装化の目的は、もっと大きなことだったのではなかったか」という違和感はありました。 有田:ただ、私は地下鉄サリン事件当時、麻原の指示に反対する上祐さんの声を聞いたことがあるんです。教団施設が警察の強制捜査を受けた際、私も現場に足を運んだのですが、上九一色村の倉庫に、大量のカセットテープが散乱していた。その中から、’90年の総選挙(※2)に出馬すべきかどうかという教団内部の議論の様子を録音したものを見つけたんです。そこに、選挙に出ることに反対する上祐さんの声が収められていた。反対したのは、勝ち目がないと思ったからですよね? 上祐:そうです。でも、麻原に帰依することが第一だと考える人や、選挙での勝ち負けより、麻原に従うことが修行であると考える弟子が大部分だった。意見を述べる場が設けられたのも、「みんなの一致した意見で選挙に出る」という形で、麻原が進めていくための通過儀礼みたいなものでした。その中で私だけがズレていて、会議の趣旨を理解せず、麻原にまともに反論したのでしょう。
上祐史浩氏

事件後、赴任先のロシアから帰国し広報担当として教団の弁明に追われていた上祐氏。「盲信の結果、確信犯的に否定していた」と当時を振り返る

有田:しかし一方で、上祐さんは教団を守るために、理不尽な態度を外部に晒していました。例えば、地下鉄サリン事件(※3)後の民放テレビの特番で、村井さん(※4)が教団施設内のプラントはサリン製造用ではないと説明しながら、「ハステロイ」という金属の名前に言及した。そうしたら、アメリカから来ていた生物化学兵器の専門家がすぐに反応して、「ハステロイ? それはサリンを製造する際に、設備の侵食を防ぐのに必要な金属じゃないですか!」と言ったんです。すると、当の村井さんがキョトンとしている横で、上祐さんがすかさず話を全然違う方向に持っていった。「これは確信犯的に嘘をついているな」と思いました。 上祐:当時は妄信のために、確信犯的に嘘をついていました。教団の嘘が露呈しかねない危ない場面は、いくつもあって、例えば村井は「サリンではなく農薬だ」と言い逃れるために、一夜漬けで知識を仕入れていた。到底、専門的な検証に堪えうるものではありませんでした。 有田:この告白本を読むと、地下鉄サリン事件発生直後、ロシアで早川(※5)と話しながら、すぐに教団の仕業だと思ったわけですよね。それでいて、「ああ言えば上祐」と揶揄された広報活動に突き進んだ。 上祐:地下鉄サリン事件が起こること自体は予想外だったにせよ、サリンを作る計画を知ったうえでロシアに行っていたわけですから、それがいつか使用されることは、漠然とは予期していたと言うべきでしょう。それでも、教団は真理だから守らなければいけないし、また闇の権力の陰謀も多少なりとも信じていた。すべては妄信のなせるわざだったのです。
サリン事件

朝の通勤ラッシュ時に実行され、死傷者数が約6300人に上った地下鉄サリン事件。オウム真理教による未曽有のテロ行為は当時、日本のみならず、世界中に大きな衝撃を与えた

有田:論理の破綻を指摘されても、矛盾は感じなかった?  上祐:そこで矛盾を感じてやめるようなら、’89年の坂本堤弁護士一家殺害事件(※6)のときに、教団を去っていました。坂本弁護士事件について、麻原らに明確に打ち明けられずとも、教団の関与には気づいていました。それでもあえて教団のための弁明をしたときから、後戻りできない領域に踏み込んでいったのかもしれません。 有田:それ以降、麻原の言うことをすべて了解していった。 上祐:はい。特に、ヴァジラヤーナの教え(※7)に基づいた、炭疽菌などの大量破壊兵器の製造実験などは、事前に理解し、自分も関与しました。個別の殺人事件についてはあとから知る形になったので、具体的な理由がわからずに、多少の疑問が浮かぶことはありました。しかしだからといって、「とんでもない。警察に告発してやる」という意識には、到底ならなかった。 ⇒【中編】オウム真理教と北朝鮮を結ぶルートは存在したのか?
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※1 麻原彰晃 本名・松本智津夫。オウム真理教の元代表、教祖。「いずれハルマゲドン(世界最終戦争)が起きる」などと主張しつつ、日本国家の転覆を謀り、地下鉄サリン事件をはじめ一連の化学兵器テロなどを主導した。’06年に死刑が確定 ※2 ’90年の総選挙 麻原が党首となり「真理党」を結成。衆院選に出馬するも、候補者25人全員が落選し、麻原は国家による開票操作を主張。教団武装化の契機になったとされている ※3 地下鉄サリン事件 ’95年3月20日、東京都心部の地下鉄で実行されたテロ事件。化学兵器(神経ガス)のサリンが使用され、13人が死亡し、約6300人が負傷。事件を首謀・実行および関与したとして、10人が死刑、4人が無期懲役、2人が有期刑の判決を受け、確定している ※4 村井秀夫 オウム真理教の元最高幹部。教団内の「科学技術省」のトップとしてサリン製造に関わり、一連の化学兵器テロなどの中心人物だった。’95年4月23日、教団の東京総本部前で、指定暴力団・山口組系組員により刺殺された ※5 早川紀代秀 オウム真理教の元幹部で、教団内の「建設省」トップ。教団武装化の実行役として武器調達に奔走し、度々ロシアに渡っていた。坂本堤弁護士一家殺害事件などの実行犯として、’09年に死刑が確定 ※6 坂本堤弁護士一家殺害事件 ’89年11月4日にオウム真理教の幹部6人が、同教団による被害対策・反社会性の追及に取り組んでいた坂本堤弁護士とその妻、当時1歳の長男を殺害した事件。実行犯は、刺殺された村井秀夫を除いて全員、死刑が確定している ※7 ヴァジラヤーナ オウム真理教において教祖・麻原が、「ハルマゲドンが起きてキリストが登場するのが神の意思・シナリオ・計画。信者はそれを信じて、その実現に努力すべきものである」とした教え。この教えのもとで、違法行為が正当化された 【有田芳生氏】 オウムや統一教会などカルト宗教問題を取材してきたジャーナリスト。参議院議員。著書に『闇の男 上祐史浩—終わらないオウム真理教』(同時代社)、『メディアに心を蝕まれる子どもたち』(角川SCC新書)などがある 【上祐史浩氏】 ’87年にオウム入信。地下鉄サリン事件後、麻原の指示の下、教団のスポークスマンとなる。偽証罪などで服役後「アレフ」代表となるも、’07年に脱会。オウム信仰を脱却し、現在は自ら設立した「ひかりの輪」代表を務める 構成/李 策 撮影/山川修一(本誌) ― 事件から17年――ついに語られるオウム事件の真実【1】 ―
オウム事件 17年目の告白

教団のスポークスマンとして世間を騒がせた上祐史浩氏が今まで語れなかった真実を告白

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