Negiccoが明かす「アイドルをやめようと思った瞬間」
「こんにちネギネギ~!」。そんなフレーズでお馴染みなのが、’03年から新潟のローカルアイドルとして活動するNegiccoだ。全国でご当地アイドルが乱立し、競争が熾烈化するなか、昨年末に発売したシングル「光のシュプール」がオリコン初登場5位を獲得するなど、その人気は新潟から全国区へ広がりつつある。そんな彼女たちに、これまでの12年の軌跡を振り返ってもらった。
――今年の7月20日で結成12周年を迎えたわけですが、最初は1か月間限定のアイドルユニットとしてスタートしたんですよね。
Megu(以下、M):最初は新潟の名産「やわ肌ねぎ」のPRのためにつくられたユニットだったんです。当時は、こんなに長くやることになるとは思ってもみませんでした。
――最初は「ネギ」という言葉に対する抵抗感もあったとか。
Nao☆(以下、N):そうですね。メディアで取り上げられても、だいたいネギ絡みの話ばかりで。しかも、ネギのPRをしなきゃならないのに、私とMeguはネギが嫌いだったんです。生放送でネギを食べる場面があったのに、口に入れたネギを吐き出しちゃったこともありました。
Kaede(以下、K):今は全員ネギが食べられますけどね。でも、やっぱり名前が「ネギ」じゃないですか。最初は、こちらが名乗っても「なに、ネギッコって(笑)」と冷たい反応の人が多かったんです。新潟の人に「お前たちは新潟の恥だ!」って言われたこともあったし。
M:一度、「名前を変えようか」という話も出たんです。でも、やっぱり記憶に残る名前だし、愛着もあったので、結局このままにしたんです。
◆所属スクール倒産、仲間の脱退でも辞めない理由
――所属していた芸能スクールが倒産する事件もあったそうですね。
N:あのときはさすがに解散かなと思いました。でも、今のマネジャーの熊倉さんが、自らマネジャー役を買って出てくれて。
M:あと、事務所がなくて歌う曲がないのなら、と地元で音楽を作っていたconnieさんという方が、無償で楽曲を提供してくださったり。本当に人に恵まれているんです。
――ダンスや衣装、販売用CDも自分たちで準備していたそうですね。
K:ダンスは自分たちで振り付けを考えて、CD -Rに曲を入れて手売りしてました。衣装も、5000円を持ってイオンに買いに行ったりしていましたね。ヘアメイクも当時から全部自前だったので、いまだに基本的には自分たちでやっています。
N:事務所に所属しても移籍になったり、所属していない時期も長かったので、誰かの指示を待つより「自分たちでつくっていかなくちゃ」という気持ちが強かったんです。
この後インタビューは、「一番の転機」や「新潟から東京まで車移動中にしていること」、そして「10月に発足するNGT48」についても言及。この続きは8/4発売の週刊SPA!のインタビュー連載「エッジな人々」にて!
取材・文/藤村はるな 横山 薫(本誌) 撮影/増田岳二
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