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中卒投資家が「親ガチャ失敗でも“総資産1億円超え”のお金持ちになれた」理由。子供時代は親の代わりに借金取りの対応

 家計を助けるために15歳から食品加工工場で働くも、100万円から始めた不動産投資によって今では総資産が1億円を超える、みわ氏。格差や学歴や職歴の壁に阻まれても人生を好転できた経緯とは?「100万円から始められるボロ物件投資」の秘訣を、みわ氏本人が伝授する。
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不動産投資家のみわ氏

玄関前で借金取りの対応をした子供時代

 僕が不動産投資を始めたきっかけは「工場勤務のままだと一生安月給だし、結婚もできないんじゃないか?」と、現状を打破したい気持ちがあったから。そしてなにより、「資産ができたら自分の持ち家を買いたい」という夢がありました。  自分の“城”を持ちたいと思うようになったのは、生まれ育った環境が大きく影響していると思います。子供の頃の我が家はとにかく貧乏で、恥ずかしくて学校の友達にも言えないほどのボロいアパートに住んでいた、というのは以前記事でお伝えした通りです。  そんな家に住んでいた我が家は結構借金もあったようで、借金取りが家まで返済を迫りに来ることも日常茶飯事。そうなると母は決まって「お母さんはおらんって言って!」と告げて隠れ、僕が玄関で借金取りのおじさんから伝言と手紙を預かる日々でした。  借金があった理由はおそらく父がギャンブルで負け続けて消費者金融からお金を借りていたから。そこで母が止めてくれたらよかったんですが、あろうことか母も父の影響を受けてギャンブルにハマり、夫婦揃って借金まみれに……。“親ガチャ”なら大ハズレのパターンです。  貧乏な家庭だったせいで給食費が払えないこともザラにありましたし、両親が離婚して母子家庭になった中学時代からは新聞配達のアルバイトもしていました。育ててくれたことには感謝していますが、ギャンブルだけはやらないと両親の姿を反面教師にしています。

初めて貸した家に住んだ家族の笑顔

 そこから不動産投資を始めて、一軒目の物件に入居したご家族の姿を見たことも自宅を購入する後押しになりました。トラブル対応でうかがった際にお父さんとお母さん、そして娘さんが楽しそうに暮らしていて、「ホームがあるってなんかいいな」と感じたんですよね。  貸しに出した自分が言うのもおかしな話ですが、その家はお世辞にも文句なしの素晴らしい物件ではありません。できる範囲でリフォームはしても築50年の一軒家なのでやっぱりボロは隠しきれないはず。  ただ、築年数が古いぶん家賃は5万円と安く、一軒家なので部屋数も十分。古ささえ気にしなければ意外とコストパフォーマンスがいい物件だと思います。快適に過ごせていたからこそ、一家全員笑顔だったんじゃないでしょうか。  一方、僕は少年時代から住む家にあまり恵まれなかったことで、住居に対するハングリー精神が養われたんだと思います。5歳の頃まで京都で住んでいた持ち家が火事で全焼してしまい、そこからは北九州に引っ越してボロアパート暮らし。親ガチャだけじゃなく、“家ガチャ”もハズレだったかもしれません。
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家は人を幸せにするのか?
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福岡県北九州を中心に築古戸建てやアパートを所有する不動産投資家。中卒で食品加工工場で働いていたが、20代で不動産投資を開始。有望な築古物件を見定め、最低限のDIYによって低コストで高利回りの物件へと変貌させて現在は総資産1億円超、年間不動産収入約4600万円を稼いでいる。公式LINE「DIYみわ塾

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