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伝説の“ヤマンバ”ギャルモデルの波乱人生、ブーム終焉後は“銀座ホステス”としてナンバーワンに

 平成ギャルがトレンドになっている昨今。見た目だけではなく精神性にも注目が集まり、ポジティブに自分らしさを貫くマインドが支持されているという。そうした再ブームで気になるのは、かつて渋谷センター街を賑わせていたギャルたちの今だ。10代・20代を謳歌していた彼女たちは、年齢を重ねてどのような女性になっているのだろう。
あぢゃ

ギャル雑誌で“ヤマンバ”モデルとして活躍したあぢゃさん(40歳)

 かつて“ヤマンバ”スタイルで注目を集めたあぢゃさん(40歳)。黒く焼けた肌に、逆立てたような広がりのある金髪ヘア、目の周りを白く覆ったメイク、自由奔放で明るいキャラクター……富士急ハイランドのCM、映画『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』、ドラマ『木更津キャッツアイ』などにも出演し、彼女の存在は世間にヤマンバのイメージを強く印象付けた。そんな彼女だが、ヤマンバ時代から現在にかけてどのような人生を歩んできたのだろうか。

バッグはゴミ袋&靴は便所サンダルの“ヤマンバ”ギャルへ

ヤマンバ

“ヤマンバ”時代のあぢゃさん(提供写真)

 17歳で雑誌『Popteen』でモデルデビュー。この頃にはすでにヤマンバ姿のあぢゃさんだが、元々はヤンキー文化が根強い横浜で育ったとか。そんな彼女がギャルに目覚めたきっかけは、とある先輩との出会いだった。 「地元はヤンキーばっかりだったんですけど、あるとき中学時代の先輩がギャルになってて。衝撃を受けました。ヤンキーにはない柔らかさがあるというか。見た目は派手だけど、すごくいい人で。今までに出会ったことがないタイプでした。それでギャルってカッケー!みたいな。あんなふうになりたいと思って、少しずつヤンキーからギャルにシフトしていきました」  その後、東京の私立高校に進学。なんとクラスの3分の1がギャルだった。地元とは全く異なる東京の文化に驚いたという。さっそくあぢゃさんも髪を染め、ネイルを派手にして、スカート丈を短くし、本格的にギャルとして開花していった。  放課後の遊び場はもちろん渋谷。次々新たなトレンドを生み出す女子高生が溢れる街で、あぢゃさんは「ここで1番目立たないと意味がない!」と思うようになっていく。 「周りに負けたくないという気持ちで派手になっていきましたね。ファンデを濃くしたり、自分で服を作ったり、シールを顔に貼りつけたりして、ヤマンバになっていきました。アルバ(アルバローザ)の袋を持ってるキレイめヤマンバもいたけど、うちらは“汚くていいよね”って感じで、ゴミ袋をバッグにして、便所サンダルで歩いたりとかしてましたね」  その強烈な個性は渋谷でも異彩を放っていた。いつしか「あぢゃという面白い子がいる」と噂が広がるほどに。そんな彼女を当時のギャル雑誌が放っておくわけがない。ついには『Popteen』の編集部員から声をかけられモデルデビューを果たす。

異色の『Popteen』モデルとしてブレイク

あぢゃ「押切もえちゃんとか、畑田亜希ちゃんとかキレイ系の子たちばっかりだったので、え? 私出ていいの?って感じでしたけど、キャラ勝ちでいかせていただきました(笑)。宮下公園に住んでまーす!とかいって水着で体洗ってる写真とか撮ってもらったり。そういうのやってたら、いろんな企画に呼んでもらえるようになって。自分で企画して連載を持たせてもらったこともありましたね」  当時の『Popteen』では異色の存在だった。けれどもあぢゃさんは萎縮することなく、機転を利かせた発想で立ち位置を確立していく。  ヤマンバが世間の話題になると、テレビからも注目される存在になっていった。来た仕事は100%で打ち返す。そうした仕事ぶりが認められたのだろう。当時は寝る時間もないほどにタレント業で大忙しだったとか。  若くしてブレイクしたあぢゃさんだが、浮き沈みが激しい業界で不安はなかったのだろうか。 「ぜんっぜんなかったです(笑)。とにかく仕事が超楽しくて! 朝3時に起きても超ご機嫌。なんなら仕事が忙しくて寝れないとかマジかっこいいっしょ! って感じで。仕事はあるうちが花だよね〜と思ってました」  まさに無敵状態。プライベートでもヤマンバだったことから、街を歩けば声をかけられることも多かった。すっかり有名人となり浮かれる彼女だったが、マネージャーからはこう言われたという。 「ヤマンバ大好きだったからオフの日でもやってたんですけど、そしたらマネージャーに『仮面ライダーはそのまま外歩いたりしないでしょ? ヤマンバは商売なんだからプライベートでやってたら意味がない』って言われて。まあ確かにそうだよなあとも思ったんですよね。それでプライベートでは少しずつメイクを薄くしていきました」  これがあぢゃさんがヤマンバから離れていくきっかけになったそうだ。
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ヤマンバブーム終焉で仕事激減
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1994年生まれ。リアルサウンド編集部に所属後、現在はフリーライターに。『リアルサウンド』『日刊サイゾー』などで執筆。またnoteでは、クォーターライフクライシスの渦中にいる20代の声を集めたインタビューサイト『小さな生活の声』を運営している。

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