「はまゆり」を恨んだ被災住民の壮絶体験
「あんな船、はやくどかしてほしかった。見ているとあの恐ろしい光景が蘇ってくるから……」
岩手県大槌町のある住民(40代・女性)はそう話した。船とは、5月10日に撤去された観光船「はまゆり」のことだ。隣接の釜石市が保有するこの観光船は、釜石湾を周遊する同市の象徴として長らく親しまれてきた。だが、たまたま大槌町のドックで定期健診を受けていたところを被災。津波が引いた後には、2階建て建物の屋根にちょうど乗っかるという、奇跡のような光景が広がっていた。
復興が進むなかで、津波の凄まじさを伝えるその姿を「教訓として後世に伝えるためにも保存すべき」という声が、一部有識者などから上がっていた。岩手県もその意見を考慮し、所有する釜石市や大槌町に掛け合っていたのだが、結局、撤去という結末に。保存を訴えかけていた広島大学の中田高名誉教授が話す。
「残念の一言です。保存することによって、後世への教訓にできただけでなく、世界遺産にもなり得るモノだったのですが……」
だがこのように保存を望む声があった一方で、地元住民には「撤去してよかった」という声が圧倒的に多い。その温度差には、落下の危険性などはもちろんだが、震災時に起こったある出来事が影響しているという。冒頭の女性住民はこう続ける。
「あの船は津波に乗って、まわりの家を次々となぎ倒してったんです。私たちは自分らの町が壊されていくのを、ただ見ているしかなかった」
なんでも津波が来た際、堤防を乗り越えたはまゆりは周辺家屋に次々と衝突していったのだという。確かに、乗り上げた旅館の周りにはほとんど建物が残っていないが、「そのほとんどをはまゆりが壊した」(前述の住民)というから驚きだ。
「津波の渦に巻き込まれながら、次々に体当たりのような形で当たっていきました。それで、引き潮で海に戻される途中、あそこに乗っかった」
周辺住民はみな、その戦慄のシーンを非難した高台の神社からモロに見ていた。その光景を忘れられず、はまゆりは不運にも、一部住民にとって“憎しみの対象”のようになっていたのだという。避難所で生活する男性(50代)は、「残したいと言っていたのは結局、よその連中だけ」と話す。
所有する釜石市によると、「大槌町への負担や住民の方の心情も考慮し、撤去を決めた」という。自分らの家を壊した船が保存されるとあっては、住民の神経を逆なでしかねない。釜石市の配慮もうなずける。
取材・文/秋山純一郎 撮影/水野嘉之
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