“カチクラ”がクリエーターの集う街になった理由
東京都下には独立創業施設がいくつもあるが、毎年、入居希望者が殺到しているのが、’04年に設立された「台東デザイナーズビレッジ(デザビレ)」だ。御徒町~蔵前の間の地域=“カチクラ”という呼称の生みの親でもある同施設村長の鈴木淳氏に話を聞いた。
「デザビレのある御徒町・蔵前付近は、もともと下請けの街。小売店はあまりなく、どの会社が何を作っているのかというのを発信してこなかったんです。この街にクリエーターが増えている理由のひとつに、材料屋や問屋、そして職人など、“モノづくり”のプロフェッショナルが多くて便利だということが挙げられます。街自体の力がそもそも大きい。誰も発信しなかった街に、拠点を構えて情報発信する人が増え、クリエーターが集まる街という雰囲気になってきて、3年くらい前からメディアで紹介される機会が多くなりました」
過去60組の卒業生のうち、28組が今もこの地域で活躍する。
「銀座や青山、渋谷などには、世界中からいろんなものが集まっていますが、地域に根差したものがあまりないと思います。それに対し、カチクラは人と場所がすごく紐づいている。“この場所で作ったものを作った人から買える”というのが地域の特性でしょう。産業としても、中間流通を外して無理せずモノづくりができ、儲かる仕組みができるのではと考えています。昔は旅の目的として、“パリでメイド・イン・フランスのブランド物を買う”という人が多かったですが、カチクラもこの街のモノを求めて世界中から人が訪れる街になってほしいですね」
【鈴木 淳氏】
台東デザイナーズビレッジ村長。’04年、台東デザイナーズビレッジ・インキュベーションマネージャーを受託。入居者のマーケティングアドバイスやブランディング指導を行う。ソーシャルデザイン研究所代表取締役
― 東京の下町が「イースト・トーキョー」になっていた ―
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