衰退の一途をたどっていた馬喰町が“ハイセンスな街”に生まれ変わったワケ
「ブルーボトルコーヒー」が清澄白河に日本1号店を出したとき、なぜ?と思った人もいただろう。しかし、今や、東京の東半分は「ハイセンス」な街へと変貌しているのだ。下町はなぜイースト・トーキョーになり得たのか?
’04年に設立された「台東デザイナーズビレッジ(デザビレ)」と同時期に東東京の活性化を担ったのがアート・デザイン・建築の複合イベント「セントラルイースト東京(CET)」だ。
「スタートは’03年、青山で開催された『東京デザイナーズブロック(TDB)』の公式ガイドに広告を出したことなんです。『3週間後に東東京でもアートイベントやります!』と。まだ何も内容は決まってなかったんですが(笑)」(CETプロデューサー・佐藤直樹氏)
TDBの広報デザインと担当だった同氏が事を急いだのは、理由がある。
「知人に馬喰町の問屋街を案内されたんです。空きビルばかりで内部もボロボロ、中にはカビ臭い物件まであって。普通なら嫌がるんでしょうけど、僕にはとても新鮮でした。西東京でこんな物件、見たことなかったですから」
繊維業の業態が変化し、衣類問屋街・馬喰町周辺の倉庫地帯は衰退の一途に。佃島や月島にも高層マンションが乱立、六本木などでもオフィスビルが大量に開業するなど、街から人が離れる理由はいくらでもあり、昔からの住民たちは衰退に悩んだ。
「会場を提供してくれる大家さんもいたので機を逃すまじ、と急拵えのイベントでした。それでも50組ほどのアーティストが参加してくれて。いざ開催したら大盛況。短期間の告知で人が集まったのもですが、何より驚いたのが地元の方の協力態勢。展示はできてもイベントの場所がないと困っていたら、道路を封鎖すればいい、と言ってくれたんです。毎年、祭りで封鎖するから、大した問題でもなかったらしく(笑)」
地元の協力を得て’04年以降も盛況、CETは熱狂的なファンを獲得していく。馬喰町や東日本橋の空き物件をリノベーションして移住するアーティストや手仕事作家も登場し、彼らが憩えるカフェもオープン。ギャラリーやセレクトショップもできた。路地に個性的な店が立ち並ぶ、この街の魅力に触れようと、休日には遠方から訪れる人も。
「住民が望んだかたちに馬喰町界隈は生まれ変わりました。その時点でCETは活動に終止符を打ちましたが、何もイベントだけが手段ではありません。東東京には、さまざまな歴史があって、それを読み替えるだけでも、可能性が広がるのですから」
【佐藤直樹氏】
アートディレクター。多摩美術大学造形表現学部デザイン学科准教授。アジール代表としてデザイン全般を手掛ける。主な仕事に雑誌『WIRED 日本版』『ART iT』など
取材・文/廣野順子 岡野孝次 古澤誠一郎 鼠入昌史(Office Ti+) キン マサタカ 地主恵亮 安田はつね(本誌)
― 東京の下町が「イースト・トーキョー」になっていた ―
空き物件をリノベして馬喰町をブランド化
『WIRED VOL.21』 特集「Music/School 音楽の学校」 |
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