オシャレタウンへと変貌した「東京の下町」 先住民たちの本音は?
「ブルーボトルコーヒー」が清澄白河に日本1号店を出したとき、なぜ?と思った人もいただろう。しかし、今や、東京の東半分はオシャレタウンへと変貌しているのだ。街と人、ライフスタイルの変化を探ってみた。
長屋や地域猫を生かすかたちで第一次イースト・トーキョーブームを巻き起こした谷根千まわりの先住民たちに話を聞いた。
日暮里生まれの30代男性曰く「’96年にNHK朝ドラ『ひまわり』の舞台になったあたりから、少しずつ観光地化が始まった。最近は谷中銀座の半分ほどが観光客向けの店になり“竹下通り化”した感がありますね」。
よみせ通りの酒店「リカーズ のだや」の三代目・佐藤幸平さんも「谷根千のブランド化につれ、周囲の地域が高層マンションの建設ラッシュになり、日暮里富士見坂から富士山も見えなくなった」と振り返る。
「でも長屋を改装してアトリエを持つ芸大卒業生のように、街を大事にしながら活性化してくれる人たちは本当にありがたい。新しい住民の方も感度の高い人が多く、いいお客さんになっていただいています」
千駄木に移住した男性も「すぐ町内会に誘われ、子供を遊ばせても近所の人が見てくれたりと本当に温かい」と話すように、新住民も歓迎されている。
一方で台東区の末広会商店街で「ふくはら酒店」を営む三代目・福原敏昭さんは「ウチは東東京のブームはまだ感じていない」という。
「清澄白河は倉庫街の空き物件を使って一気に活性化したけど、この辺りで同じことはできないからね。でもウチも機会があれば『台東デザイナーズビレッジの校庭で日本酒の会を開催』みたいな面白いことを若い人たちとやりたいね」
photo by Yoshihiro Toda via flickr
― 東京の下町が「イースト・トーキョー」になっていた ―
イースト・トーキョーの先住民の本音は?
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