テキサス・トルネードってだれ?――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第103回
NWA加盟団体WCCWのオーナー・プロモーターだった元祖“鉄の爪”エリックは、友好関係にあった各地のNWA加盟テリトリーをことごとく敵にまわしてのWWEの全米ツアー計画に難色を示し、この合併プランは破談となった。しかし、そのWCCWはそれから2年後の1986年、NWAを脱退して新団体WCCWとして再スタートを切ったが、結果的にこの独立路線はわずか3年で終えんを迎えた。
1984年2月、ケリーのすぐ上の兄デビッド・フォン・エリックが日本遠征中に急死。ケリーも1986年6月、バイクの事故で右足、右足首、でん部の複雑骨折、内臓破裂の重傷を負った。“家業”のため復帰を急いだケリーは同年11月、松葉づえをついたままカムバック戦を決行し、この試合で再び右足首を複雑骨折した。翌1987年4月、四男マイク・フォン・エリックが薬物自殺をとげた。
エリック兄弟対ファビュラス・フリーバーズ(マイケル・ヘイズ&テリー・ゴーディ&バディ・ロバーツ)の定番カードを売りものに80年代前半、南部きっての人気マーケットへと急成長をとげたWCCWは、たびかさなるトラブルで観客動員が激減。NWAクロケット・プロ、UWF(ビル・ワット派)のダラス市場進出もWCCWの凋落に追い打ちをかけた。
1987年11月、前年のカムバック戦でのケガから1年後、ケリーはなにごともなかったかのように戦列復帰を果たした。リング上を縦横無尽に走りまわり、ロープワークをこなし、垂直跳びスタイルのドロップキックを放つケリーの驚異的な回復ぶりはまさに現代の奇跡というほかなかった。
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