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ボブ・ディランがノーベル賞にシラけている理由、周囲の熱狂のバカらしさ

俺にとって興味があったのは、ミュージシャンであることだった。シンガーであることも大事だし、曲も大事だ。しかし、脳裏のどこかで常に一番最初に来るのは、ミュージシャンであることだった。 (中略)他の連中が「ラン・ルドルフ・ラン」に夢中だった頃、俺の興味はレッドベリーにあった。ステラの12弦ギターを弾いてた頃さ。「あれをどうやって弾いているんだろう?」「どこに行けば、あの12弦ギターを買えるんだろう?」って。(中略)俺の理知は常にそういう働き方をした。音楽に関して。> (『インスピレーション』よりボブ・ディランのインタビュー 著:ポール・ゾロ 訳:丸山京子)  “ノーベル賞などより、ガーシュウィン賞やケネディ・センター名誉賞の方が、遥かに重要なのだ”と語ったとしても、全く驚かない。それほどまでにミュージシャンであることへの強いこだわりが感じられるエピソードだ。
Highway 61 Revisited

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ディランを「反体制」だという人たちのカン違い

 最後に考えられるのが、ノーベル文学賞にある種の政治的なメッセージが込められる可能性への嫌気である。つまり、トランプ、プーチン、ルペンなどが台頭する世界情勢へのアンチテーゼとして担ぎ上げられるのはまっぴらごめんだ、と。  なぜなら、ディランにとって詩や曲を書くことは、社会を改良することと何の関係も持たないからである。 「詩人はPTAに出席しない。詩人は、そうだな、例えば住宅改善事務局の前でピケを張ったりしない。」(『インスピレーション』)  これこそが、ディランの基本理念なのだ。  自伝の中で、なぜロバート・ジョンソンに取りつかれたのかを分析している箇所がある。 <彼は、孤独だとも絶望したとも束縛されているとも叫ばない―――何物にも臆さない。偉大な人の例に漏れず、彼はほかの人とはまったく違う道を行っていた。  ジョンソンは、富裕階級や人種差別に抗議をする「ワシントン・イズ・ブルジョア・タウン」のような歌とはまったく結びつかない。> (『ボブ・ディラン自伝』 訳:菅野ヘッケル)  もし、ノーベル委員会に何らかの意図を感じたとするならば、ディランが真っ先に思い出すのはロバート・ジョンソンのことだろう。だがそのもろもろをもひっくり返して、何食わぬ顔で授賞式に顔を出すことも考えられる。  いずれにせよ、ボブ・ディランにとってノーベル文学賞とは、喜びにも悲しみにも値しない、皆いずれ忘れ去るだけの出来事として処理されるはずだ。 ●Bob Dylan – Unbelievable
<TEXT/音楽批評・石黒隆之>
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