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“月曜RAW”から“RAW IS WAR”の時代へ――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第248回(1997年編)

 また、この日はポール・ヘイメン――番組内ではポール・E・デンジャラスリーと紹介された――をリーダーとするECWの主力メンバーが2.24“ロウ”マンハッタン大会につづき、2度めの番組ジャックを敢行。ポール・Eとジェリー・ローラーがリング上でディベート(討論会)をおこない、予想どおり、両者の毒舌が一触即発ムードを誘発した。  ECWはこの5週間後、4.18PPV“ベアリー・リーガル”で3年がかりのプロジェクトだったPPV市場進出を果たし、WWEとWCWのメジャー2団体に対するオルタナティブといっていい“ナンバー3”のポジションを手にすることになる。  WWEの長編ドラマの主人公は、やはりブレットとショーン・マイケルズのふたりなのだろう。ショーンがチャンピオンベルトを腰に巻くとブレットがリングから姿を消し、ブレットがカムバックしてくると、こんどは「ヒザの故障」を理由にショーンがあっさりと同王座を返上してTVから消えた。この時点でのWWE世界王者セッドがワンポイントのリリーフ・チャンピオンであることはだれの目にも明らかだった。  3.23“レッスルマニア13”の大会ロゴは不吉なナンバーといわれる“13”をモチーフにしたデザインで、ビンス・マクマホンが“レッスルマニア13”のメインイベントに起用したのは、その“13”をイメージさせる怪奇派のアンダーテイカーだった。イベントそのもののフィクション性が高まったことで、やや政治色の強いブレットとショーンの“邂逅シーン”は自動的に先送りにされた。  リニューアルされたばかりの番組ロゴは“RAW”の3文字がくるっと回転するとそのまま“WAR”に変わるというCGだった。“ロウ・イズ・ウォー”という新しい番組タイトルはビンスの新しいアテテュード(姿勢、心がまえ)を表していた。(つづく)
斎藤文彦

斎藤文彦

※この連載は月~金で毎日更新されます 文/斎藤文彦 イラスト/おはつ ※斎藤文彦さんへの質問メールは、こちら(https://nikkan-spa.jp/inquiry)に! 件名に「フミ斎藤のプロレス講座」と書いたうえで、お送りください。
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