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“格闘家”ケン・シャムロックの苦悩とリスペクト――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第256回(1997年編)

WWEオフィシャル・マガジン

“格闘家”ケン・シャムロックがついに“ロウ”TVマッチでデビュー。4月のPPV“イン・ユア・ハウス15”ではあのベイダーと“格闘技ルール”で対戦した。(写真はWWEオフィシャル・マガジン表紙より)

 “元祖UFCファイター”ケン・シャムロックがWWEのリングで初めて試合をおこなったのはポスト“レッスルマニア13”の新シーズン、4月第1週収録分の“ロウ・イズ・ウォー”のTVマッチだった(1997年4月6日=インディアナ州マンシー、ユニバーシティー・アリーナ)。  赤のショートタイツと赤のレガース、黒革のオープン・フィンガー・グローブといういでたちでリングに上がったシャムロックは、“NHBスタイル”のエキシビション・マッチでピーター・ホワイトという無名の黒人選手と対戦した。  NHB(ノー・ホールズ・バード)とはUFCに代表される総合格闘技のこの時代の総称で、1997年の時点では――ポリティカル・コレクト的にはノー・ホールズ・バード=“なんでもあり”なる表現はひじょうに野蛮なものを連想させるためテレビ向きではないとする議論があった――MMA(ミックスト・マーシャルアーツ)という単語はまだ“発明”されていなかった。  この日、シャムロックと対戦したピーター・ホワイトは、じつはシャムロック主宰の格闘技ジム“ライオンズ・デン”所属選手で、パンクラスでも活躍したヴァーノン・ホワイトの世をしのぶ仮の姿だった。  シャムロック対ホワイトのエキシビション・マッチは、マウント・ポジションからの“馬乗りパンチ”のラッシュでシャムロックがKO勝ち。試合終了後はベイダーがリングサイドに出現し、シャムロックとの対戦をアピール。シャムロックもベイダーの挑発に応じ、アリーナ内にはWWEの連続ドラマとはややムードの異なる、緊張した空気が流れた。
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シャムロックとの契約を、WWEは公表しなかった
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