“格闘家”ケン・シャムロックの苦悩とリスペクト――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第256回(1997年編)
総合格闘技では1秒でも速く相手を倒すことだけを考えていればいいけれど、プロレスは対戦相手とぶつかり合い、観客と知恵比べをし、極限までスタミナを消耗するスポーツである。
WWEにおけるシャムロックのキャラクターはもちろん“プロ格闘家”。UFCからWWEのリングに乗り込んできたプロフェッショナル・ファイターといういささか荒唐無稽な設定がシャムロックに不思議なオーラを与えていたが、こういう“よそ者キャラ”の賞味期限はじつはきわめて短い。
シャムロック対ベイダーのシングルマッチをリングサイドの実況ブースから観察していたビンス・マクマホンは、だれよりも先にこの試合に“ダメ出し”をした。
ビンスにとって総合格闘技は――少なくともビジネスモデルとしては――プロレスよりも劣るサムシングであり、WWEがUFCのマネをするようなことはあってはならないというのがビンスのスタンスだった。ビンスの命令によりシャムロックは“ふつうのプロレスラー”への方向転換を図ることになる。
このシフトチェンジはどちらかといえばビンスのなかのUFCアレルギーによるものであったが、いっぽう、バックステージはシャムロックに対するリスペクト(尊敬、敬意、尊重)と歓迎の空気が満ちあふれていた。ボーイズはシャムロックをリスペクトし、シャムロックもまたボーイズをリスペクトした。
WWEはシャムロックをプロレスラーとして迎え入れたのだった。シャムロックのプロレスラーとしてのプロフィルは“平成2年”あたりでフリーズされていた。第2次UWF時代以降の日本での活動が、アメリカ国内では“プロ格闘家”としての経歴になった。
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