“格闘家”ケン・シャムロックの苦悩とリスペクト――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第256回(1997年編)
シャムロックはこの年の2月にWWEと3年の専属契約(契約満了後2年のオプション付)を交わしていたが、WWEはこの事実をあえて公表せず、“ロウ”のストーリーラインではシャムロックは特別ゲストとして番組に登場した“プロ格闘家”ということになっていた。
シャムロックにとってWWEでの正式デビュー戦となったベイダーとのシングルマッチは、4.6“ロウ”から6週間後に開催されたPPV、5.11“イン・ユア・ハウス15/ア・コールド・デー・イン・ヘル”(バージニア州リッチモンド、ザ・コロシアム=観衆1万2000人)にラインナップされた。
この試合でもシャムロックは“レスラー”ではなくあくまでも“ファイター”で、肩書きは“UFCチャンピオン”。ニックネームは“世界でもっともデンジャラスな男The World Most Dangerous Man”。
ベイダーとの一戦は格闘技スタイルの時間無制限1本勝負。それがWWEの観客にとっておもしろいものであったかどうかはいささかの議論の余地を残すところではあるが、“総合格闘技”としておこなわれたシャムロック対ベイダーのシングルマッチは、あえて日本的な表現を用いるとするならばUWFスタイルのプロレスだった。
スタンディングのポジションでシャムロックが左右のパンチ、ローキック、ハイキックを放っていくと、ベイダーはステップバックしながら両手を前に出してシャムロックを至近距離に誘い込み、シャムロックがそのまま突進してくると、すぐにトップロープをワキに抱え込んでディフェンスの体勢をとった。1990年代前半、UWFインターナショナルのリングを主戦場としていたベイダーはこういう試合の“お作法”を熟知していた。
通常のプロレスとはちがうサムシングとしてプロデュースされた一戦は、15分5秒、シャムロックがアンクル・ホールドでタップアウト勝ち。試合終了後、シャムロックがコーナーにうずくまり、疲労こんぱいの表情を浮かべていたのが印象的だった。
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