“格闘家”ケン・シャムロックの苦悩とリスペクト――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第256回(1997年編)
シャムロックは20代でランド・オブ・ライジング・サンに移り住み、日本語を学び、シュート・ファイティングなる武道の修行を積んだ――。ディフォルメされたストーリーがいかにもアメリカ人の解釈っぽかった。
ニューヨーク発信の“マンデーナイト・ロウ”の画面のなかにいるシャムロックは、少年ファンにとっては格闘技系ゲームの実写版みたいなものだったし、アダルト・オリエンテッドの観客にとってはUFCのスーパースターだったリアル・ディール=ホンモノということになる。
もちろん、シャムロックははじめからずっとプロレスラーだった。たまたまプロレスとプロレスではないもののボーダーラインのすぐそば、あるいはボーダーレスな場所を何年もうろうろしていたから、プロレスラーとしての匂いのようなものはどこかへいってしまったけれど、そのかわりにプロレスの群れから離れ、知らない人たちばかりの空間で時代の熱風をあびてきた。
シャムロックがプロレスに帰ってこようとしたとき、プロレスもまたシャムロックを必要としていた。リングに上がってしまえばプロレスとそうでないものの区別は消えてなくなる。
売れないプロレスラーだったこと。UWFのこと。パンクラスのこと。UFCのこと。そして、WWE。シャムロックのなかではすべてがちゃんとつながっていた。シャムロックはみんなにリスペクトされてそこに立っているのだった。(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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