ハート・ファウンデーションはほんとうの仲間――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第257回(1997年編)
ブレット派閥ハート・ファウンデーションのメンバーは、リーダーのブレット、ブレットの実弟オーエン・ハート、ブレットの義弟“ブリティッシュ・ブルドッグ”デイビーボーイ・スミスと義兄ジム“ジ・アンビル”ナイドハート、そしてブライアン・ピルマンの5人。
オーエンはハート・ファミリーの12人兄弟の末っ子で、ニックネームは“カルガリーの天才児”。デイビーボーイは1980年代の伝説のタッグチーム、ブリティッシュ・ブルドッグスの片割れ(パートナーはダイナマイト・キッド)で、ブレットの妹でオーエンの姉ダイアナの夫。ナイドハートは元WWE世界タッグ王者(パートナーはブレット)で、ブレットとオーエンの姉エリーの夫。元プロ・フットボール選手のピルマンはハート家に住み込み、地下道場“ダンジェン”でハート一家からレスリングの手ほどきを受け、プロレスラーとなった。
デイビーボーイはもちろんデイビーボーイ・スミス・ジュニアの父で、ナイドハートはナタリアの父といったほうがいまどきのWWEユニバースにはわかりやすいかもしれない。スミス・ジュニアとナタリアは、“カルガリーの父”スチュー・ハートも孫で、プロレスラーとしてはサード・ジェネレーションにあたる。
ブレットは、本格的なヒール転向から3週めの4.21“ロウ”ニューヨーク州ビンガムトン大会での“ストーンコールド”スティーブ・オースチンとのシングルマッチ(ストリート・ファイト・ルール)で右ヒザのじん帯を損傷。翌週オンエア分の“ロウ”からは車イスに座ったポジションで番組に登場し、ハート・ファウンデーションの5人がリング上を完全占拠して大演説をおこなう場面が定番シーンとして導入された。
スピーチの内容はアメリカ社会の荒廃、1日あたりのテレビ視聴時間が世界一長いといされるアメリカ人の文化的レベルの低さに対する憤り、WWEの体制批判とビンス・マクマホンに対する不満、エトセトラ、エトセトラ。
ブレットの怒りのホコ先は、そこらじゅうにピアスの穴を開け、体じゅうにファッション・タトゥーを彫り、リングに上がればお尻を振って踊りまくる“ボーイトーイ”ショーン・マイケルズにも向けられた。
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