WCW崩壊のプロローグ――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第328回(2000年編)
同大会の主要カードは“インフェルノ・マッチ”“アンビュランス・マッチ”“アサイラム・マッチ”といった企画モノのオンパレード。
“インフェルノ・マッチ”はどちらか先に相手の体に火をつけたほうが勝ちというルール、“アンビュランス・マッチ”は救急車で病院送りになったほうが負けというデスマッチ、“アサイラム・マッチ”は“収容所マッチ”で、いずれもルッソー考案のギミック=仕掛けだった。
ホーガンとフレアーが共存するリングにはスティング、ゴールドバーグ、ブレット・ハートといったスーパースターがいて、ロディ・パイパーや“マッチョマン”ランディ・サベージら1980年代のWWEスーパースター、さらにレックス・ルーガー、スタイナー兄弟、ダイヤモンド・ダラス・ペイジら“元祖WCWグループ”、シェーン・ダグラス、レイヴェン、ランス・ストームらECWからの移籍組、ルチャリブレ部門、クルーザー級部門がとぐろを巻いていた。
メインイベントでは、ゴールドバーグの“乱入アシスト”でWCW世界ヘビー級王者ジェフ・ジャレットがケビン・ナッシュからフォール勝ちをスコアして同王座を防衛した。
まさかの“大どんでん返し”として用意されたゴールドバークのヒール転向に観客はブーイングを浴びせたが、それはゴールドバーグではなくてWCWそのものに対する失望のブーイングだった。
ビショフ&ルッソーの新体制下、2000年4月から6月にかけての2カ月間でWCW世界王座はジャレット―DDP―デビッド・アークエット―ジャレット―フレアー―ジャレット―ナッシュ―フレアー―ジャレットとほぼ週替わりで移動。
映画俳優のデビッド・アークエットがリングに上がって“プロレスごっご”をして、あげくの果てに“フレアー・モデル”の黄金のチャンピオンベルトを腰に巻いた瞬間、それまでWCWを応援していた固定層のサポーターもついにサジを投げた。
ビショフは新スポンサーを獲得して投資会社を設立し、WCW買収に向けて動きはじめていた。(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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