僕に女装を教えてくれた「嶽本野ばら」好きの彼女との思い出――女装小説家・仙田学の『女のコより僕のほうが可愛いもんっ!!』
自分のことが嫌いで嫌いでたまらない。だから誰のことも好きになれず、そのくせ誰かから愛されたくて仕方がない。
女装と出会ったのは、そんな感情に振り回されていた10代の頃のこと。京都に住んでいた私は中学受験をして奈良の進学校に進んだのだが、3年生の1学期から通えなくなった。レールを外れた私に、親はひどく冷淡になった。どう接していいのかがわからず放っておくことを選んだのだろう。見捨てられたと感じた。親とは違う価値観を身につけなければ、自分が消えてしまう。焦りと不安で押し潰されそうな感情が引きこもっていたあいだの唯一の記憶だ。
背の高く体格のよかった父親に似ないように、絶食をして30キロ台にまで減量をしたこともある。父親の認めているものには心のなかで唾を吐きかけ、蔑んでいるものには積極的に手を染めた。マンガを描きだしたのもその頃だった。描いては雑誌に応募した。ところが落選してばかり。そのたびに「もっと勉強しましょう」というメモとともに作品が送り返されてくる。
何枚かのメモが溜まった頃に、背中を押されるようにして、引きこもっていた部屋から外に出た。プロのマンガ家たちが講師を務める社会人向けのマンガ学校に通うことにしたのだ。蛭子能収さんには「マンガ家の山田花子に似てるね」と言われ、内田春菊さんからは「いろいろ足並みが揃っていない」と評された僕のマンガはぱっとしないままだったが、年上の美大生の女の子と出会い、好きになった。
16歳の私にとって20歳の彼女は遥かに大人だった。一緒にいると私は別の人間に作り変えられていくようで、そのようにして何者かになっていくのだろうと期待した。彼女の後をついてまわり、彼女の好むものはすべて好きになろうと努力した。
――仙田くん、これ履いてみなよ。似合いそう。
おさがりのスカートを渡されたときにも、断る理由がなかった。
女装をするたびに、可愛い、綺麗だ、と彼女からやたら褒められた。それだけで、漠然と感じていた不安や寂しさは吹き飛んでしまう。小学生の頃に作文がコンクールに選ばれたときの何倍も嬉しかった。嫌いで嫌いでしかたのなかった自分を、ようやく少しだけ好きになれたのだ。
第3回 女装小説家 仙田学の「女のコより僕のほうが可愛いもんっ!!」
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