スポーツ

「井岡一翔のボクシングはつまらない」と気軽に叩く人たちへの違和感

江夏豊がいう、選手の生活権

 ボクサーは、技術的、戦術的な判断ミスが死に直結する可能性と常に直面している。スコッツデールの16番でミスショットしてもブーイングされるだけで死にはしないが、自分の意に反して打ち合ったがために、文字通り致命的なパンチを喰らうのがボクシングなのだ。  井岡一翔のスタイルは、こうした視点から考える必要があるのだろう。つまり、彼はボクシングを職業とする一人の成人男性として、自らの力量やライフプランと真剣に向き合ったうえで、この“しょっぱい”と揶揄される戦い方を選択したと言えるのだ。それは誰も侵すことのできない、井岡一翔の“生活権”なのである。 今をブレない 野球評論家の江夏豊は、臨時コーチで呼ばれた際にも滅多なことでは選手たちを指導しないのだという。その理由は以下の通り。 <選手たちはずっとそのフォームでやってきて飯食ってるわけよ。それを変えるっていうことは、一歩間違えれば生活権を奪ってしまいかねない。彼だけじゃなく彼らの後には嫁さんや子どももいる。そういう人達を路頭に迷わせることはしたくないという気持ちがある。>   (『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』 著・江夏豊 松永多佳倫)  試合中に深刻な怪我を負ったボクサーの動画集がYouTubeにある。そこに寄せられた一つのコメントが印象に残っている。 “みんなフロイド・メイウェザーのことを弱虫だとか言うけど、これ見たらそんなこと言えないな”。  メイウェザーと井岡を比較するのは気が引けるけれども、それでも押さえておきたいのは、つまらない、しょっぱいボクサーに対して、自らも殴られる覚悟で倒すための努力をしろと強要するのは、あまりにも無責任だということだ。  もちろん長谷川穂積氏やセレス小林氏の指摘には根拠がある。けれども、いちファンの立場でそれに乗っかって、井岡の人生をいじくり回すのは極めて品性下劣。それはボクシングが体現する野蛮さよりも、さらに陰湿で不快な暴力だと言わねばならない。 <TEXT/石黒隆之>
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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