快速、快適、高画質――30年間変わらないキヤノンEOSの設計思想
2017年、カメラとレンズで構成されるキヤノンの「EOSシステム」が、誕生から30周年を迎えた。システムの強化と拡充を図り続けたEOSシステム。長年愛され続けた裏には、ユーザーを第一に考えた設計思想があった
⇒【写真】はコチラ(AE-1 PROGRAM)https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1355652
AE-1は、アクセサリーのパワーワインダーAを使うことで、秒間2コマの連続撮影が可能になる。この機能からつけられたキャッチフレーズ「連写一眼」は、一世を風靡し、一般にも広く浸透した。連写機能のほかに、AE-1に搭載されたストロボの自動調光機能なども、当時としては画期的なものだった。
AE-1が大ヒットを続けるなか、キヤノンは1978年にカメラの自動化と電子化技術をさらに進化させた「A-1」を発売。1983年には徹底した自動化で、誰でも簡単に撮影が楽しめる「T50」などを生み出していく。
「カメラ業界にとって、80年代前半は機能の自動化を模索していた時期でした。そんななか、1985年にカメラ業界を震撼させた『αショック』が起こります」(笠松氏)
1985年2月、ミノルタ(現コニカミノルタ)が世界で初めて発売した、本格オートフォーカス(AF)の一眼レフ「ミノルタα-7000」が、空前の大ヒットを記録。翌年にはニコンなどほかのメーカーもα-7000を追従し、AF一眼レフ機は世界の市場を席巻した。
「弊社も、Tシリーズの『T80』(同年4月発売)でAF化の実現には至っていましたが、残念ながらお客様を満足させるレベルではありませんでした」(笠松氏)
歴史的な惨敗を喫したキヤノンは、より完成度の高いAF一眼レフを投入すべく、開発に着手する。
一眼レフカメラが、現在よりもさらに高嶺の花だった70年代。キヤノンは1976年に、当時のあらゆる技術を結集し、世界で初めてCPU(Central ProcessingUnit)を搭載した、シャッタースピード優先式の一眼レフカメラ「AE-1」を発売する。
「当時は高校生で、まだカメラに興味を持っていませんでしたが、AE-1の『連写一眼』というキャッチフレーズは、今でも鮮明に覚えています」とは、当時を知るキヤノンの笠松厚雄氏。同席した家塚賢吾氏も、「後継機の宇崎竜童さんのテレビコマーシャルがかっこよくて。AE-1シリーズは若者の憧れでした」と、少年時代を懐かしむ。
●笠松厚雄氏……キヤノンイメージコミュニケーション事業本部ICB製品事業部主席。1984年に入社。長年EOSに関わる
●家塚賢吾氏……キヤノンイメージコミュニケーション事業本部ICB製品事業部 課長。1991年入社。多数の愛機を持参してくれた
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