むずかしい日本語のボキャブラリーを持たないマサ斎藤――フミ斎藤のプロレス読本#156[新日本プロレス199X編01]
「いまごろ、店の奥で大根かなんか切ってたりしてな」
もし、あのままサンスランシスコに住んでいたら、オリエンタル食料品店のオヤジにでもなっていたかもしれない。
タンパのおとなりのクリアウォーターあたりにビーチ・ハウスを買うなんて計画もあった。
プロレスラーはどこへでも行けるし、どこででも暮らせる。マサさんはこまごまとした荷物を増やさないほうだし、カウチやキッチンテーブルやベッドは引っ越しをするたびに買ったり捨てたりしてきた。
トーキョーに帰ってきたマサさんは、どちらかといえばプロレスを“やる立場”からプロデュースするポジションにまわった。
ベイダーもスコット・ノートンもヘルレイザースも、マサさんのブレイン・チャイルドである。でも、トニー・ホームのような失敗作もあった。日本の会社社会は、わかっていたことではあるけれど、ヘデエィク(頭痛)の種ばかりだ。
店の奥のウィンドーから裏の植物園がながめられるサンドウィッチ屋さんは、ミチコさんに連れてきてもらったデート・スポットだった。
大きなステーキ・サンドウィッチとアイスティーがテーブルに運ばれてきた。マサさんは、食事をしているあいだに2回も“ミチ”に電話をかけた。
ミチコさんは、ハニーがいてもいなくても、いつも忙しいワーキング・ウーマン。仕事の邪魔をするのはマサさんのほうだ。
ミチコさんにとって、マサさんとの結婚は“青天のへきれき”だったらしい。マサさんはむずかしい日本語のボキャブラリーを持たない人だし、そもそもプロレスはノンバーブル・コミュニケーション(言語ではなくボディーランゲージなどによる情報伝達)をよく使う職種である。
マサさんは、この人といっしょにいれば楽しいだろうと感じたから、また結婚する気になった。
マサさんはいつもハートのおもむくままに生きてきた。ウエートトレーニングをやって、いつも真っ黒に日焼けして、たくさんごはんを食べて、あとはプロレスさえつづけていられればほかに望むことなんてない。
そして、“ミチ”がいてくれれば、家に帰ってもちっともさびしくない。
※文中敬称略
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文/斎藤文彦
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