3回めの結婚で初めてウェディング・パーティーを開いたマサ斎藤――フミ斎藤のプロレス読本#157[新日本プロレス199X編02]
マサさんは20年のアメリカ生活で2度の結婚を体験した。初めのメアリッジはサンフランシスコ時代で、お相手は年上の日本人女性だった。ツアー生活が忙しくなってアメリカじゅうを飛びまわるようになると、家庭生活らしきものはどこかへいってしまった。
それから10年くらい“彼女いない歴”がつづいた。フロリダ時代、WWE時代はたくさんのガールフレンドをつくった。30代は“セックス・ドラッグ・ロックンロール”のカルチャーを走りつづけた。
ふたりめのカミさんは、AWA時代にミネアポリスで出逢ったアメリカ人女性。警官との乱闘事件で1年半の刑務所暮らしを送るはめになったときは、毎週土曜と日曜に日本食のお弁当をこしらえて面会に来てくれるような献身的なレディーだったけれど、けっきょくうまくいかなくなった。フィーリングを失ってしまったら、もうどうにもならない。
シングル・アゲインになったマサさんは、知り合いの知り合いから倫子さんを紹介された。
「セックス・ドラッグ・ロックンロール! イェーイ!」
マサさんがマイクをつかんで叫んだ。もちろん、ハードロックをガンガンかけながらドラッグをキメて、セックスをおっぱじめようというわけではない。それはきっと「オレたちはいまが青春なんですよ」というアテテュード(姿勢、心がまえ)を表現したフレーズなのだろう。
いつまでも少年みたいにしていたいマサさんは、何度結婚しても子どもをつくらなかった。
倫子さんは、バイリンギャルのはしりみたいなキャリア・ウーマン。マサさんはジャパニースとアメリカンのあいだを行ったり来たりして、ようやくちょうどいいバランスのパートナーをみつけた。
日本語じゃないとうまくコミュニケートできないことがらもたくさんあるし、英語にしたほうが伝えやすいフィーリングというのもやっぱりある。
倫子さんとケンカをするたびに、これからもマサさんはなにもいわず大きなフラワー・バスケットと“ごめんねカード”をプレゼントしつづけるのである。
※文中敬称略
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文/斎藤文彦
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