恋人が通う歯医者に嫉妬するのはヘンですか?――爪切男の『死にたい夜にかぎって』<第3話>
その日の歯医者からの帰り、川沿いの道をアスカとトボトボと歩く。
「ねぇ、どうして先生にあんなこと言ったの? 私、恥ずかしかったよ」
「……」
「ねぇ、なんで?」
「……」
「ねぇったら!」
「うるせえな」
「はぁ?」
「最初は歯医者行くの嫌がってたくせに、最近は喜んで行ってるよな。そりゃ、あんなイケメンなら嬉しいわな」
「……」
「図星だろ?」
「……もしかしてやきもち?」
「……」
「ねぇ? やきもち?」
「悪いかよ」
「……嬉しい!」
「え」
「やっとだよ。やっとやきもち焼いてくれた」
「……」
「好きとか愛してるとかよく言ってくれるけど、やきもち焼いてくれたこと一度もないから不安だったの」
「……そうなんだ」
「私、すごくやきもち焼きだもん。あなたの好きな女子プロレスラーのことも大嫌いだもん。豊田真奈美とか福岡晶とか」
「そうだったのか」
「あなたの好きな人、全員嫌いだもん」
「ははは」
「だから、歯医者さんのこともっと嫌いになっていいからね」
「うん、そうする」
二人ともどこか満足そうな顔で、ドブ川の上に架かる橋を渡る。渡った先には肉屋さんがあり、ここのメンチカツコロッケは本当に絶品なのだ。
「やきもち焼いてくれたお礼に、今日は私が奢ってあげるね」
「そりゃどうも」
「ね、歯医者が終わった後に食べると何でも美味しいよね」
「メントスでも?」
「……意地悪」
本当は「お前と一緒に食べる物なら何でも美味しいんだよ」と言いたかったが、その言葉を口にはしなかった。歯の浮くような台詞ばかり言うのはやめて、これからはもっとやきもちを焼いてあげよう。そうすることでしか伝わらない気持ちもあるのだから。
私がそのことにもっと早く気付けていれば、二人が別れることはなかったかもしれない。
アスカと別れて二年後、思い出の肉屋さんでメンチカツコロッケを二つ注文する。二つ食べないと満足できないデブになってしまった自分に苦笑する。ふと奥歯がズキズキッと痛み出した。どうやらまた虫歯が出来てしまったようだ。オレンジ色の歯医者は潰れていた。オレンジ色だったからだろう。さぁ、早く新しい恋人を作らなくては。そしてその恋人とお互いの歯を見せ合おう。
文/爪 切男’79年生まれ。会社員。ブログ「小野真弓と今年中にラウンドワンに行きたい」が人気。犬が好き。 https://twitter.com/tsumekiriman
イラスト/ポテチ光秀’85年生まれ。漫画家。「オモコロ」で「有刺鉄線ミカワ」など連載中。鳥が好き。 https://twitter.com/pote_mitsu
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『死にたい夜にかぎって』 もの悲しくもユーモア溢れる文体で実体験を綴る“野良の偉才”、己の辱を晒してついにデビュー! |
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