インポを理由に女幽霊のコスプレをお願いしてみた――爪切男の『死にたい夜にかぎって』<第1話>
―[爪切男の『死にたい夜にかぎって』]―
さまざまなタクシー運転手との出会いと別れを繰り返し、その密室での刹那のやりとりから学んだことを綴ってきた連載『タクシー×ハンター』がついに書籍化。タクシー運転手とのエピソードを大幅にカットし、“新宿で唾を売る女”アスカとの同棲生活を軸にひとつの物語として再構築したのが青春私小説『死にたい夜にかぎって』である。切なくもユーモア溢れる文体で実体験を綴る“野良の偉才”爪切男(派遣社員)による新章『死にたい夜にかぎって』特別編、いよいよ開幕。これは“別れたあのコへのラブレター”だ。
【第一話】私だけの可愛い幽霊
「あなたのインポって何かの呪いじゃないの?」
二〇一〇年の初春、同棲して五年になる彼女のアスカが可愛いアヒル口をパクパクさせながら言った。私がインポになって早一ヶ月、バランスの取れた食生活、適度な運動、充分な睡眠、病院からもらった薬、怪しい精力剤、できることは全てやった。それなのに、我がチンコはいまだ孤城落日の有り様である。「はぁぁぁ……」と白装束に身を包んだアスカが深いため息をつく。勃たなくなったのをいいことに、以前から興味があったコスチュームプレイをお願いしたところ、「働かずに毎日ゴロゴロしてる私にできることなら……」とアスカは快く応じてくれた。ただ、私の好みが看護婦やチャイナ服のような王道ではなく女幽霊だったため、ドン・キホーテで購入した幽霊の仮装衣装にアスカは袖を通しているわけだ。最初のうちこそノリノリだったが、来る日も来る日も幽霊になることに疲れてしまったアスカは、いちいち着替えるのも面倒臭くなった。そのうち朝から晩まで一日中、白装束で過ごすようになった。愛する彼女が幽霊になってしまった。全ては私がインポになったせいだ。呪いと言われても仕方がない。
だが、私はこの世に呪いなど存在しないことを知っている。
中学生の頃、我が家によく遊びに来る親戚のおっさんがいた。歳は四十代ぐらいで、顔はものまね四天王の栗田貫一にそっくりだった。実家の林業を生業にしているとのことだったが、働いている様子は全くなく、平日も週末も昼間から酒をかっくらっている姿が記憶に残っている。栗田貫一に似ているからかは分からないが、TVで『ものまね王座決定戦』がある日は、一升瓶片手に必ず我が家に来た。うわごとのように「笑いのコロッケ、天才清水アキラ、実力は栗田貫一、アホのビジーフォー。ビジーフォーは殺してやる」と、なぜかビジーフォーだけを目の敵にしていた。モトもグッチもいい迷惑だ。
ある時、町に変な噂が流れた。親戚のおっさんが、神社の裏山で夜な夜な呪いの藁人形の儀式をしているらしい。「丑の刻参り」というやつだ。この平成の世にそんな時代錯誤なことをするわけがないと、町の大人たちは噂を信じなかったが、私だけは「あいつならやりかねない」と疑いの目を向けていた。どうにか真実を確かめたいと思った私は、悪友二人を誘って現場を見張ることにした。丑の刻参りは丑三つ時と呼ばれる深夜一時から三時頃に行われる。誰かに目撃されてしまった場合、その目撃者を殺さないと己に呪いが返ってくるという言い伝えもあったので、私たちの身に危険が及ぶ可能性もあるのは重々承知だった。だが、呪い、白装束、丑三つ時といった非日常への好奇心を抑えることができなかった。
深夜零時、家族にバレないように家を抜け出す。明かりの少ない田舎町の闇を切り裂いて走る自転車。神社の境内で悪友たちと落ち合う。各々の手には護身用の改造エアガンが握られている。懐中電灯、爆竹、ロケット花火、ポケットナイフなど、もしもの時の備えも万全だ。神社の裏にそびえ立つ大木。御神木と呼ばれるやつだ。根元辺りを懐中電灯で照らしてみると、不自然な量の藁のカスと五寸釘が落ちていた。疑惑が確信に変わった瞬間、先ほどまで綺麗だなと思っていた青白い月の光が、とても不気味に思えた。御神木を一望できる茂みに身を隠し、不審な人物が現れるのをいまかいまかと待つ。ところが、一週間監視を続けても人っ子一人現れなかった。
噂はデマだったのかと思いはじめた半月の夜、時間はおよそ午前二時だった。全身白ずくめで白のスニーカーを履いた怪しい男が山道をノロノロと上がって来るのが見えた。物音一つ立てず、男の様子を茂みから窺う。やがて、月明りの下に晒された栗田貫一によく似た顔。見慣れた親戚のおっさんだった。右手には藁人形とトンカチなどの道具、左手にはいつも通り一升瓶を持っている。白装束だとばかり思っていたが、よく観察すると、下は白のステテコ、上はグンゼの白シャツという非常に情けない出で立ちだった。
一升瓶をクイッと一口飲んだ後、藁人形目掛けて五寸釘を勢いよく打ち付け始めた。「カーン……コーン……」という音が裏山に響き渡る。殺気を感じたのか、近くの野良犬たちが「ワン! ワン!」と激しく鳴き始める。エアガンを握る手が震える。緊張で足がすくんで動けない。「ドスッ! ドスッ!」。先ほどまでとは違った鈍い音が聞こえる。おっさんが一升瓶の底を藁人形に叩きつける音だ。「ひゃっ! ひゃっ!」と不気味な声を発している。恐ろしい。人はこれほどまでに誰かを憎むことができるのか。私だって、自分を捨てて家を出て行った母親のことをいくらか恨んでいたが、ここまでの憎悪は持ち合わせていなかった。いつもは陽気なおっさんが憎んでいる人。誰だ。誰なんだ。心当たりは……心当たりは……ビジーフォーしかいない。確かにグッチ裕三の声はたまに癇に障る。
「よし、やるぞ……」。震える声で、悪友の東がエアガンの銃口をおっさんに向けた。そうだ。あれは悪だ。人を恨むことで我を失った白い悪魔だ。私たちの手で成敗しなければ。親族である私がやらなければいけない。自分に喝を入れてデザートイーグルの引き金に手をかけた。「うわぁぁぁぁぁぁぁ! 死ねぇぇぇぇぇぇ!」と叫びながら、おっさんの無防備な背中、がら空きの後頭部目掛けて三人で一斉射撃を開始した。
「ぎゃぎゃ~ん!」と情けない声を上げて、前のめりに倒れ込む白い悪魔。程なくして、身体をプルプルと震わせながら立ち上がって、私たちの方を振り返った。その目には一切の生気が宿っていなかった。まるで死んだ魚の目だ。おっさんは、音もなくスッとトンカチを振り上げ、こちらに向かって歩き始めた。
「のわ~~!」と大声を上げて、私たちは全速力で山道を駆け下りた。途中で何回も足を縺れさせながらも、神社の入口に停めてあった自転車にまたがった。これで逃げ切れると安心した瞬間、おっさんはすぐ近くまで迫っていた。その距離は一メートルもない。なんというスピードだ。
「そうか……おっさんはスニーカーを履いていた」
危うく追いつかれそうになりながらも、自転車の地力を生かして寸前のところでおっさんを振り切ることに成功した。
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『死にたい夜にかぎって』 もの悲しくもユーモア溢れる文体で実体験を綴る“野良の偉才”、己の辱を晒してついにデビュー! |
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