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ジェーク“ザ・スネーク”ロバーツ ヘビと呼ばれた男――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第68話>

ジェーク“ザ・スネーク”ロバーツ ヘビと呼ばれた男<第68話>

連載コラム『フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100』第68話は「ジェーク“ザ・スネーク”ロバーツ ヘビと呼ばれた男」の巻(イラストレーション=梶山Kazzy義博)

 怪奇派というよりも、ライフ・ストーリーそのものがひじょうにミステリアスでどこか反社会的なキャラクターだった。

 DDTの発案者として知られ、アンダーテイカーが出現する以前のWWEの怪奇派の“大ヒット商品”だった。

 父親グリズリー・スミスのコーチを受け、1975年に20歳でデビューしているから、1986年にWWEのリングに初登場した時点ですでにキャリア11年のベテランだったことになる。

 “ザ・スネーク”というニックネームは、1980年代前半にNWAジョージア地区をサーキット中に定着した。

 ジェーク・ロバーツがまるでヘビのような動きをすることから、実況アナウンサーのゴードン・ソーリーが「彼はスネークだ」と形容したのがはじまりとされる。

 長身6フィート5インチ(約196センチ)のわりに体つきはスリムで、キャンバスをするするとすべるような動きを得意としていた。

 コーナーに座り込んで静止したかと思うと、いきなりものすごいスピードで動き、また数秒後にはピタッと動きを止め、最後は相手の首をとった瞬間、いきなりDDTを決めるというのが定番パターンだった。

 無言のままコーナーに座り込むと、いつも不可解な薄笑いを浮かべていた。それはサイコ系キャラクターとしての演技だったのかもしれないし、あるいはロバーツのほんとうのフィーリングだったのかもしれない。

 複雑な家庭環境、少年時代に経験した(とされる)性的虐待、近親相姦、妹が犠牲者となった殺人事件、そしてドラッグ依存症といったさまざまな“秘密”が明らかになっていくのはそれから10数年後のことだった。

 ビンス・マクマホンは、“ザ・スネーク”のニックネームどおりロバーツに生きたヘビを“付属品”として持ち歩かせた。

 怪奇派キャラクターとしてヒールとベビーフェースを演じ分け、リッキー・スティムボート、ランディ・サベージ、リック・ルード、アルティメット・ウォリアーらと因縁ドラマを演じたが、なぜかハルク・ホーガンとの接触はあまりなかった。

 “レッスルマニア8”でアンダーテイカーとのシングルマッチに完敗した試合を最後にWWEを退団(1992年4月5日=インディアナ州インディアナポリス)。

 それから4年後、WWEに復帰したときは敬けんなクリスチャンに生まれ変わっていた。

 “キング・オブ・ザ・リング”トーナメント決勝戦としておこなわれたロバーツと“ストーンコールド”スティーブ・オースチンのシングルマッチはプロレス史に残る“事件”だった(1996年6月23日=ウィスコンシン州ミルウォーキー)。

 ベテランのロバーツを下して“キング・オブ・ザ・リング”トーナメント優勝を決めたストーンコールドは、試合終了後、「“オースチン3:16”、ストーンコールドがテメエのこてんぱんにノシたぜAustin“3:16”says I just whipped your ass」とコメント。

 1990年代後半からミレニアムにかけてのストーンコールドのトレードマークとなる“3:16”なるフレーズ――聖書の“3章16節”のパロディ――は、敬けんなクリスチャンとなったロバーツを罵倒した台詞だった。ロバーツがクリスチャンでなかったとしたら“3:16”というフレーズは誕生していなかったかもしれない。

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ドキュメンタリー映画で謎のプライベートが明らかに

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