ジャック・ブリスコ NWA世界王座という幻想――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第33話>
アマリロのプロモーターはいうまでもなくドリー・ファンク・シニアで、ブリスコとは同い年で数年後に“宿命のライバル”となるドリー・ファンク・ジュニアは当時、キャリア3年。テリー・ファンクはまだキャリア1年のルーキーだった。
ドリー・シニアは、ブリスコがアマリロ入りするまえから地元のテレビ番組と新聞を使って「アマチュア・レスリングの元全米チャンピオンがアマリロにやって来る」と宣伝をくり返していた。
ブリスコはアマリロでのデビュー戦でいきなりドリーとシングルマッチで対戦し、2分ちょっとのファイトタイムでフォール負けを喫した。
テリー・ファンクとのシングルマッチもやっぱり2分で負けた。ファイトマネーは1試合25ドルだった。試合には負けたし、ギャラの面でも屈辱を味わった。
ドリー・シニアは“カレッジ・レスリングの全米チャンピオン”を息子たちの売り出し作戦に利用した。ブリスコにとっては、このアマリロでの経験がレスリング・ポリティックス(政治学)へのイニシエーションだった。
ネイティブ・アメリカンの血をひくブリスコとテキサスのファンク・ファミリーは「カウボーイとインディアンの関係」とブリスコはふり返った。
ドリーとテリーは根っからのテキサンで、ブリスコはオーキー(オクラホマ人)。“西部劇”の時代から敵対する関係だった。
ブリスコは、アマリロでの修行時代にレスリングの実力だけではどうすることもできないレスリング・ビジネスのなんたるかを実体験として学んだ。
アマリロからオクラホマに帰ったブリスコは、こんどはボスのL・マクガークのブッキングで“鉄の爪”フリッツ・フォン・エリックのテリトリー、テキサス州ダラスのサーキットに合流した。
同じテキサスでもアマリロとダラスは別世界だった。プロモーターと現役レスラーの兼業だったフリッツは、ブリスコを“金の卵”としてベビーフェース・サイドのトップグループに編入させた。
ダラスのコネクションがブリスコを半年間のオーストラリア・ツアーへと導き、オーストラリアでのコネクションがのちにホームリングとなるフロリダへとつながっていった。
初来日は日本プロレスの『ウインター・シリーズ』(1967年=昭和42年11月)。4年後の2度めの来日ではアントニオ猪木が保持していたUNヘビー級王座に挑戦し2-1のスコアで敗れた(1971年=昭和46年8月5日、名古屋)。
NWA世界王者として3度めの来日を果たすのはそれからさらに3年後、全日本プロレスのリングだった(1974年=昭和49年1月、『新春NWAシリーズ』)。
ブリスコが“宿命のライバル”ドリーと再会を果たすのはアマリロでもオクラホマでもなく、フロリダのリングだった。
ドリーがジン・キニスキーを下してNWA世界王者になった日、ブリスコは前座の第1試合に出場していた(1969年2月11日=フロリダ州タンパ)。
その後、ドリー対ブリスコのタイトルマッチがフロリダのドル箱カードとなり、NWA加盟プロモーターたちは観客動員力のあるこの試合をアメリカじゅうでプロデュースしはじめた。
ブリスコとドリーのシングルマッチはいつも60分フルタイムのドローだった。ブリスコは世界チャンピオンのドリーにもフォール負けを許さないだけの政治力を持ったスターに格づけされた。
フロリダのプロモーター、エディ・グラハムは1万人クラスの観客動員力を持つブリスコにNWA世界王座をとらせようと各地のプロモーターに働きかけた。
1972年の夏、ラスベガスで開かれた年次総会で全米のNWA加盟プロモーターはブリスコを次期チャンピオン候補に推薦したが、カンザスのプロモーター、ボブ・ガイゲルだけはハーリー・レイスを擁立した。
結果的に、チャンピオンベルトはドリーからレイス、レイスからブリスコという“三角トレード”のような形でブリスコの腰に落ち着いた(1973年7月20日=テキサス州ヒューストン)。
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