恋愛・結婚

借金取りを本気で殺そうとしたプロレス少年の愛と絶望――爪切男の『死にたい夜にかぎって』<第5話>

 最初は本当に辛かったが、一年もすると彼らのワンパターンな嫌がらせに飽きを感じるようになった。町中に響き渡るぐらいの声での嘘泣きや、死んだフリをして二人を焦らせるテクニックも身につけて、日々をたくましく生き抜いた。気持ちを強く持ち続けられたのは「プロレス」という心の支えがあったからだ。きっかけは親父がよく見ていたプロレス中継だった。リング狭しと飛び跳ねて躍動する男達。鍛え上げられた肉体を持つ者同士の激しいぶつかり合い。入場シーンの格好良さ。自分より身体の大きな外国人レスラーをバッタバッタとなぎ倒す日本人レスラー。私はすぐにプロレスの虜になり、将来はプロレスラーになることを夢見た。週に一度のプロレス中継を見ることを支えに、借金取り達との戦いを耐え抜いた。  小学五年生の時に事件が起きた。その日は大好きなアニメの最終回の日で、通常とは違う最終回バージョンの歌が流れることになっていた。私はどうしてもその歌を録音したかった。ビデオデッキを持っておらず、CDを買う金もなかった当時、TVの歌を記録する方法は、テープレコーダーをTVの前に置いて直接録るしかなかった。録音中に咳払いなどの雑音が入るのを避けるため、家族をTVから遠ざけて万全の状態を整える。精神を集中し、歌の始まりに合わせて録音ボタンを押した瞬間、家の玄関をドンドンと蹴る音がした。「オラ~! 出て来い! 利息返さんかい!」。借金取りの汚い罵声がアニメの主題歌と共にテープに録音された。同時に、子供とは思えないほど冷めきったトーンで「あいつら……ぶっ殺してやる……」とつぶやく私の声も録音された。  どんなに幼い殺意でも、一度生まれた殺意を止めることは容易ではない。すぐさま借金取りを殺すことを考えたのだが、殺す方法が分からない。刃物を使っても子供の腕力では致命傷を与えられない。銃と毒物を手に入れる術がない。車で轢き殺すための運転技術もない。突き落とす崖や海が近くにない。来る日も来る日も人の殺し方を考えていた。そんな悩める子羊の前に正解は突如として現れた。正解はいつだってプロレスが教えてくれた。  ある日のプロレス中継で、アームレスリング世界王者の肩書を持つ外国人レスラーと日本人レスラーの試合があった。超竜と呼ばれたスコット・ノートンと、誰しもが認める天才レスラー武藤敬司のシングルマッチだ。その試合の中で、武藤が使ったスペースローリングエルボーという技に私の目は釘付けになった。コーナーポストに叩きつけた相手に向かって猛然とダッシュをして、側転をしてからの背面エルボーを叩き込む華麗なる技。側転をしないで普通にエルボーを決めた方が威力がありそうなものだが、きっとあの側転一回の遠心力でとんでもない破壊力が生まれているのだ。その証拠に、技を食らった後、武藤よりひと回り大きいノートンが悶絶の表情で苦しんでいた。借金取りとの体格差を埋め、なおかつ子供にもできる簡単な動きの技。私はこの技に全てを賭けることにした。  計画はこうだ。借金取りの死角からスペースローリングエルボーで不意打ちをして、倒れ込んだ借金取りの喉元をナイフで切り裂く。借金取りは二人なので、残り一人にボコボコにされる可能性が高いが、子供の自分には大人一人殺せれば上出来だ。  翌日から人を殺すための修行が始まった。学校の校庭、公園、家の庭、至るところで側転からのエルボーの反復練習と基礎体力強化のための腕立て、腹筋、ランニングに励んだ。春が過ぎ、夏を通り抜け、秋を駆け抜け、冬を耐え忍び、あっという間に一年が経った。私は小学校六年生になった。成長期と重なったこともあり、この一年で約十センチも伸びた身長は一六〇センチを超えていた。最初はぎこちなかった側転も、今では体操選手のような鋭い動きである。もしかしたら、スペースローリングエルボーだけで借金取りを殺してしまいかねない。私は自分の成長具合が本当に怖かった。  桜吹雪が舞い散る春、人を殺すのには良い季節になった。今日は借金取りが家に来る日だ。私は家族宛に手紙をしたためることにした。「今まで育ててくれてありがとう。僕は人を殺します。本当にごめんなさい」。そう書かれた手紙を学習机の引き出しの奥にしまい、いつものように学校に向かった。授業中、心の中でクラスメイト達に「さようなら」と別れを告げた。人生最後の給食は揚げパンだった。  夕方、時刻は十六時、自宅に続く大通りの真ん中に私は仁王立ち。汗ばんだ手でポケットの中のナイフの存在を確かめる。遠くに見える借金取りの姿を真正面から見据えて、大きく深呼吸を一つ。ゆっくりと歩みを進め、相手に近づくにつれて徐々に速度を上げていく。走り幅跳び選手の助走のようだ。スペースローリングエルボーを極め続けたこの一年間を無駄にはしない。積年の恨みを今こそ晴らしてみせる。この側転にすべてを懸けるのだ。虚を突かれて動くことのできない借金取り目がけて、私は飛んだ。  ガシッと仏のような大きな存在に抱きしめられた感触がした。背中に感じる人のぬくもりが少し心地良い。やがて、私の耳に聞こえてきたのは、「ぼっちゃん~! お帰りなさい~!」という借金取りの嬉々とした声だった。何が起きたのか分からずに呆然とする私の頭をクシャクシャッと撫でて「ぼっちゃん~!」と喜ぶ借金取りに「えへへ」と愛想笑いを一つ。隙を見せた借金取り目掛けて、もう一度スペースローリングエルボーを放ってみるも結果は同じ。「さっきからなんやそれ。学校で流行ってるんか」と借金取り達はあきれた様子で笑った。この時、私は本当の意味でプロレスを知った。
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彼がプロレスを嫌いになることはなかった。それどころか…
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死にたい夜にかぎって

もの悲しくもユーモア溢れる文体で実体験を綴る“野良の偉才”、己の辱を晒してついにデビュー!

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