ジェフ・ジャレット “サザン・スタイル”最後の継承者――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第96話>
プロレスラーとしてもプロレスをプロデュースする立場としても“完ぺき主義者”のジャレットは、WCWでもWWEでもないプロレス空間をみずからの手でこしらえるしかなかった(2002年6月)。
TNAはメジャー団体のようでもあり、インディー団体のようでもあるミディアム・サイズのカンパニーだった。
プロレスの歴史と伝統は大切だし、新しいプロレスの構築と新しいファン層の開拓も同じくらい大切である、とジャレットは考えた。
TNAでは週1回のミニPPV、六角形のリング、Xディビジョン(クルーザー級とハードコア・スタイルのミックス)などいろいろな実験を試みた。
自社プロデュースのテレビ番組“インパクト”がFSN(フォックス・スポーツ・ネット)で全米中継されるようになった。
フリーエージェントになったハルク・ホーガンをTNAにひっぱり込んだこともあった。カート・アングルがWWEを退団すると、TNAはすぐに専属契約をオファーした。
2014年、TNAを離脱し、新団体GFW(グローバル・フォース・レスリングGlobal Force Wrestling)を旗揚げ。GFWとTNAの業務提携を画策した。
2018年4月、WWEホール・オブ・フェームで殿堂入り。じつに19年ぶりにビンスと和解した。
●PROFILE:ジェフ・ジャレットJeff Jarrett
1967年4月14日、テネシー州ヘンダーソンビル出身(プロフィル上の出身地はナッシュビル)。1986年4月、デビュー。USWAサザン・ヘビー級王座通算9回保持。WWEではインターコンチネンタル王座通算6回保持。1990年代はWCWとWWEを何度も往復した。“放送作家”ビンス・ルッソー体制のWCW末期にはWCW世界ヘビー級王座通算4回保持。WCW崩壊後、2002年6月に新団体TNA設立。得意技はストローク(リバース式DDT)と足4の字固め。2018年、WWEホール・オブ・フェームで殿堂入り。
※文中敬称略
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文/斎藤文彦
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