クリス・ベンワー ナイスガイの“反則死”――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第97話>
クリスはマディソン・スクウェア・ガーデンのリングに立っていた。
“レッスルマニア”の第1回大会が開催されたころ、クリスはカルガリーのハート家の“ダンジェン=地下牢”で薄いマットが敷かれただけのコンクリートのフロアに顔をこすりつけながらレスリングの練習に明け暮れていた。
“レッスルマニア20”のメインイベントは、トリプルH対クリス対ショーン・マイケルズの世界ヘビー級選手権“トリプル・スレット”だった(2004年3月14日=ニューヨーク)。ここにたどり着くまでの映像が“早送り”になってクリスの頭のなかをかけめぐった。
クリスはこの試合のすべてのシーン、すべての動きをきっちりと記憶していた。リングのまんなかでトリプルHにクリップラー・クロスフェースをかけた。
トリプルHが右手でキャンバスを4回たたいて、タップアウトの意思表示をした。試合終了のゴングが鳴った。ここで時間がストップした。
アリーナの天井から銀色の紙ふぶきが舞い降りてきた。リングに両ヒザをついたクリスは、レフェリーから手渡された黄金のチャンピオンベルトをじっとみつめ、それからそのベルトをしっかりと胸に抱きしめた。
まるで映画のラストシーンのようだった。タイトルはきっと“ドリームス・カム・トゥルー”だろう。
映画とちがうところは、プロレスが永遠のto be continuedになっているところだ。だから、クリスの物語にはこのつづきがあった。
クリス、妻ナンシーさん、7歳の息子ダニエルくんの3人がジョージア州フェイヨッテ郡の自宅で遺体となって発見されたのは2007年6月25日(現地時間)の午後2時30分ごろだった。
翌26日、フェイヨッテ郡保安当局が記者会見を開き、遺体発見時の状況から事件が“ダブル・ホミサイド・スアサイド(二重殺人・自殺事件)と断定されたこと、クリスがナンシーさんとダニエルくんを殺害し、自殺をとげたことを発表した。
いったいなにがクリスをそこまで追いつめてしまったのか、いまとなってはだれにもわからない。クリスのなかでなにかが壊れ、ブチ切れたのだろう。
クリスは金曜の夜、ナンシーさんを絞殺し、土曜の朝、ダニエルくんを窒息死させ、土曜の深夜から日曜の朝にかけて自宅地下のウエートルームでトレーニング器具にロープをかけて首をつってみずからの命を絶った。
“心中”という日本語にはどこかロマンチックな救いの響きが隠されているけれど、アメリカ英語では“ダブル・スアサイド(二重自殺)”という表現になる。“無理心中”という考え方がなく、そういう単語も存在しない。
ほんとうに感じのいいナイスガイだったクリスは、あまりにもむずかしい“宿題”を遺して、ある日、旅立ってしまった。
●PROFILE:クリス・ベンワーChris Benoit
1967年5月21日、カナダ・モントリオール生まれのエドモントン育ち。1986年1月、カナダ・カルガリーでデビュー。同年、新日本プロレスに留学。1994年、第1回“スーパーJカップ”優勝。IWGPジュニアヘビー級王座、WCW世界ヘビー王座、世界ヘビー級王座(WWEロウ版)を獲得。得意技はクリップラー・クロスフェース、ダイビング・ヘッドバット。2007年6月24日、死去。享年40。
※文中敬称略
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文/斎藤文彦
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