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「プロレス」が昭和の時代に勢いがあったワケ

今上天皇の退位で、来年には幕を下ろす予定の平成。そんな平成とはいったいどんな時代だったのだろうか……と振り返りたいところだが、最近はなぜか「昭和かよ!」と言いたくなるような騒動や事件が続出している。そこで、さまざまな分野の昭和・平成の状況を比較。それぞれの時代の良しあしを確認して勝敗をつけながら、新時代に何を残すべきかを考えていく。
後楽園ホール

プロレスの聖地、後楽園ホール。画像は公式HPより

ゴールデンタイムが当たり前の昭和プロレス vs 近年の女子人気でブーム復活の平成プロレス

 戦後、街頭テレビで多くの人々が力道山の試合を観戦したように、「プロレスとテレビは互いにとって普及に不可欠な存在でした」とはプロレスライターのフミ斎藤氏。 「力道山の死後、弟子のアントニオ猪木とジャイアント馬場が発展させますが、カラーテレビ普及に不可欠なコンテンツがプロレス。猪木の新日本プロレスはテレビ朝日、馬場の全日本プロレスは日本テレビで放送されていました」  昭和40~50年代、放送翌日は学校で必ず話題になっていたという。 「’76年に当時のボクシング世界ヘビー級の王者モハメド・アリと猪木が異種格闘技戦を行い、世界に衝撃を与えましたが、テレビ局の支援があったから。’80年代にはタイガーマスクがリングデビューし、社会現象になりました」  だが、’86年9月には金曜20時枠の『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日系)が『ミュージックステーション』に追いやられる形で放送終了。’88年3月でプロレスがゴールデン枠から姿を消す。 「平成に入って、プロレスは冬の時代を迎えた。最近若い女性ファンが増えていますが、人気なのは新日本プロレスだけ。他団体は地上波での定期放送すらありません」  確かに、バラエティで活躍するレスラーは多いが、リングでの姿を見る機会は少ない。 「テレビ局は余裕がなく、昔みたいにプロレスで面白いことを仕掛けることもない。昭和のほうが圧倒的に勢いはあったと思いますね」 <判定> 第三のタッグパートナーだったテレビ業界の失速の影響で、昭和プロレスのスリーカウントフォール勝ち 【フミ斎藤】プロレスライター ’62年生まれ。オーガスバーグ大学教養学部卒、早稲田大学大学院スポーツ科学学術院スポーツ科学研究科修士課程修了。『昭和プロレス正史』など著書多数 ― [昭和 VS 平成]十番勝負 ―
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