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昭和のパチプロが令和のパチプロをべた褒め。オレたちよりも‟プロ”だと絶賛のワケ

伝説のパチプロの死から20年

パチプロ日記

「パチンコ必勝ガイド」の看板連載だった田山幸憲氏の「パチプロ日記」。今でもそのファンは多い 写真/谷川一球

 パチプロと呼ばれる職業がある。パチンコのプロ……文字通り、パチンコで常勝を目指し、勝つことで収入を得る人々である。そんなパチプロの代表格と言われるのが、2001年に亡くなった田山幸憲氏だろう。東大を中退し、パチプロの道に足を踏み入れ1989年から10年以上に渡って『パチンコ必勝ガイド』で『田山幸憲のパチプロ日記』を連載。プロと同時にパチンコライターの先駆け的な存在でもあった。  今年は田山氏の没後20年を迎える。田山氏が存命だった頃と今では、パチンコは大きく変わった。残念ながら田山氏に「今のパチンコ」について話を聞くことはできない。だが、昭和から平成にかけてパチプロとして生きた元パチプロに、今のパチンコについて話を聞てみた。

しっかりと稼げた昭和から平成初期

 話を聞いたのは筆者と旧知の仲である、元パチプロの大島照明さん(仮名・52歳)だ。 「まぁ、確かにパチンコだけで食い始めたのが昭和天皇が崩御するちょっと前だったから、ギリギリ昭和のパチプロと言えるかな(笑)。高校出てブラブラしてる時にパチンコ覚えてのめりこんで……。  なんとか勝たちたいと思っていろんな雑誌を読んだの。それで止め打ちやボーダーなんかを覚えてね。当時、昭和63年〜平成初期なんて、今と違って回転とか大当たり回数を表示する機械もなかったから、回転数とか大当たりの回数を数えて打ってるヤツなんていなかった。だから、回る台を選んでちゃんと打つだけでも、しっかり勝てた」  大島さんのスタイルは今でも通用する正統派のパチプロとでも言おうか。よい釘の台を徹底的に打ち込むことで期待収支を上げていくというものだったという。  当時のパチンコは狂乱の時代とでもいうほど、攻略法が溢れかえった時代でもある。大島さんも攻略法で稼いだという。 「中には大当たりを直接狙えるような攻略法もあったけど、手軽にできて効果抜群だったのは、連チャンを誘発する打法。アタッカーをフルオープンさせるとか、ランプのタイミングで入賞させるとかね。  ボーダーを越える台を見つけて連チャン誘発打法をしっかりやれば、まず負けなかったね。運悪くデジパチで負けたら羽根モノの釘を読んで良調整の台で負債を減らすこともできたのはデカかった」  大島さんは当時を振り返って、こう語る。 「みんなどんぶり勘定してるところで、しっかり勘定するヤツが出てくればまず間違いなく儲けをだすことができる。当時のパチンコって、店も客もどんぶり勘定だった。だから、自分みたいなのは稼げたんじゃないかな」  そのどんぶり勘定体質が、今や業界のクビを締めているのではあるが……。
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今の台は渋いがプロはすごい
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愛知県出身。スポーツからグルメ、医療、ギャンブルまで幅広い分野の記事を執筆する40代半ばのフリーライター。
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