更新日:2023年03月21日 16:26
エンタメ

34歳、“最底辺グラドル”がそれでも諦めないワケ

 グラドルにとって、テレビや雑誌はもちろん、SNSや動画配信サイトなど活動の場が劇的に増えた。とはいえ、その多くが人知れず消えていく世界……。  普段、私たちが目にするのは業界のピラミッドにおいて頂点に近い部分だろう。そんな中、売れることもなく、底辺でもがき続けているグラドルだって存在する。自ら“底辺グラドル”を名乗り、『最底辺グラドルの胸のうち』(イースト・プレス)を上梓した吉沢さりぃさん。彼女は、今年で34歳を迎える。  その道のりが、平坦ではなかったことは想像にかたくない。それでもなぜ、彼女は諦めず、グラドルを続けるのだろうか。
吉沢さりぃ

自称“底辺グラドル”の吉沢さりぃさん

自称“ちょうどいいブス”がグラドルになったワケ

 だれもが芸能界に夢を抱き、足を踏み入れたはずだ。そもそも彼女は、なぜこの世界を目指したのか。 「幼い頃、いとこがすごい美人で可愛がられていたのですが、一方で私はハッキリと“ブス”だと言われ続けてきたんです。うちは、かなりの教育家庭で厳しかったのですが、『容姿の悪い女性は勉強しないと生きていけない』という教育をマジで受けてきました。だから、逆に(容姿を活かして)テレビに出るような仕事をして、見返してやりたかったんです。中学のときに親が離婚して、母は夜勤が多かったので、ほとんど一人暮らしになった。そこからは好きなように生きようって。反骨精神ですね。  ただ、高校生ぐらいで気づいた。やっぱり、女優とか“普通”の芸能人にはなれないなって。なんでだろう。昔から自分のことを客観視するクセがあって。そんなとき、グラドルブームで出てきた人たちを見て、巨乳だけど、ぶっちゃけ容姿はそこまでじゃない……むしろ、ちょいブス。もしかして、私でもワンチャンあるんじゃね? って(笑)」  自身を“ちょうどいいブス”と表現する吉沢さん。片っ端から事務所に履歴書を送った。しかし、結果は全滅。箸にも棒にもかからない状態だったが、秋葉原駅を歩いているときにAV事務所にスカウトされた。  AVに出演するつもりはなかったが、当時はAV女優が芸能人に転身するケースが増えており、事務所にはAV以外のテレビに出る仕事が余っていたらしい。「めっちゃ怪しい」とは感じていたが、藁にもすがる思いで快諾したという。  芸能界に入ることはできた。だが、それは当初思い描いていたようなグラドル像ではなかったという。少年誌のグラビアを飾るような仕事がグラドルだと思っていた。確かに、それが“王道”ではある。しかし、現実はそう甘くない。グラドルになったはずが、まわりからは“着エロアイドル”呼ばわり。DVDを出すことはできたが、過激な要求はエスカレートするばかり。AV以上の内容を求められることさえあった。 「このままでは先がない。いったん辞めよう」 吉沢さりぃ こうして、たいして売れることもなく、人知れず引退。その後、コールセンターのアルバイトや武蔵小金井のキャバクラで働くなど、いわゆる一般人となったが「やっぱりテレビに出たかった」と芸能界を諦めきれなかった。  そして、芸名を変えて、しれっと活動再開……。念願だった王道路線で勝負してみたが、結局は売れなかった。紆余曲折ありながら、現在は三度目のリスタートとなる。しかし気がつけば、底辺を抜け出せないまま、アラサーとなっていた。
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自分の市場価値を客観視している
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明治大学商学部卒業後、金融機関を経て、渋谷系ファッション雑誌『men’s egg』編集部員に。その後はフリーランスとして様々な雑誌や書籍・ムック・Webメディアで経験を積み、現在は紙・Webを問わない“二刀流”の編集記者。若者カルチャーから社会問題、芸能人などのエンタメ系まで幅広く取材する。X(旧Twitter):@FujiiAtsutoshi

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最底辺グラドルの胸のうち
週刊誌やコミック雑誌のグラビアを飾ることもなく30代を迎えてしまったグラビアアイドル・吉沢さりぃが赤裸々に語る。マウンティング、枕営業、副業、恋愛、妊娠、そしてSEX……脱け出せないのには、理由がある!

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