「表紙を撮れるカメラマンは世界に数人だけ」知られざる航空専門誌の凄み
【紙のプライド 第1回】『航空ファン』三井一郎編集長
今やデジタル全盛の時代。出版社の屋台骨を支えてきた雑誌の売上もこの四半世紀でほぼ半減。ここ数年は、一時代を築いた有名雑誌休刊のニュースを目にする機会も増えてきた。
だが、「出版不況」と呼ばれて久しいこのご時世でも、変わらず刊行を続ける老舗雑誌も多数ある。この連載では、そうした老舗を切り盛りする編集長を直撃。彼らのもつ紙媒体への愛着&矜持――“紙のプライド”を、あえてWEB読者に届けたい。
三井編集長は、そんな歴史ある専門誌を実に40年にわたって支え続けるベテラン編集者。現在のポストに就いたのが、時代がまだ「昭和」だった1988年というから、現在40歳の僕が小学生だった頃からずっと「長」を務めるまさに生き字引と言っていい。
「もともと幼い頃から飛行機がとにかく好きでね。大学生だったときにひょんなことから現在の社長(今井今朝春氏)と知りあって、編集部でアルバイトをするようになったんです。大学では電気工学を専攻していたけど、『航空業界に入りたい』と思ってたわけでも全然なくてね。なので、成りゆきでそのまま入社して、気がついたら編集長を任されて。でも、『ただ飛行機が好き』っていう趣味の延長線上にずっといるから、いまでも自分を“編集者”だとはあまり思ってないんですよね」
少年期をりんご畑の広がる信州・長野で過ごした三井少年は、健全な男児の多くがそうであるように物心ついたときから乗り物にドハマり。なかでもとりわけ彼の心を鷲づかみにしたのが、無駄のない流線形のフォルムで空を舞う世界各国の戦闘機だったという。
「せっかくだから現物を持ってきたましたけど、これが小学生のときに初めて自分のこづかいで買った号なんです(下写真参照)。学校帰りに市内の大きな本屋さんまで電車に乗って買いに行ってね。そのときの喜びは今でも鮮明に覚えていますよ」
その後、中学に上がった三井少年は長野から東京に転居。転機が訪れたのも、その頃だ。
「あれは1971年、確か中学2年生のときだったかな。『国際航空宇宙ショー』というのが愛知の小牧基地で開かれるというので、望遠レンズつきのカメラを持っていた友人からわざわざ借りて、現地まで行ったんです。本格的にハマったきっかけがあるとしたら、写真を撮る楽しさを知ったおそらくそのとき。やっていること自体は、当時もいまもあんまり変わってませんよね(笑)」
ここ数年は発行部数にして2万部程度で推移しているという『航空ファン』だが、全盛期にはその倍以上、5万部近くを刷っていたこともあったとか。当時を振りかえって編集長は言う。
「扱っているのが戦闘機という特殊な乗り物なので、こちらから仕掛けてブームを作るといった能動的なアクションは起こせない。ただ、私が編集長になった80年代後半から90年代初頭にかけては、世界情勢の激変が、如実に部数にも反映された時代でもありました」
1989年11月9日の「ベルリンの壁崩壊」を端緒に、東側諸国で民主化の動きが活発化すると、91年12月にはソビエト連邦が解体。長く続いた“冷戦”の終結は、かつて「鉄のカーテン」とも称された東側諸国の軍事機密も、一気に白日のもとにさらすことになったという。
「今も隔年で続いている『シンガポール・エアショー』が、まだ『アジアン・エアロスペース』と呼ばれていた頃。90年だったと思いますけど、私も現地に行ったんです。そしたら、ソ連のブースに主力戦闘機の『Su-27』(通称「フランカー」)の実機が普通に展示してあってね。それまで全貌がほとんど知られていなかった機体の実物が目の前にあった。あの光景にはやはり衝撃を受けました。『本当に時代が変わったんだな』って実感しましたよね」
世界各地で開かれる航空ショーには、“秘匿”されてきた東側諸国の機体が続々と出品されるようになり、時を同じく勃発した湾岸戦争では、アメリカが開発した世界初の実用ステルス戦闘機『F-117』(通称“ナイトホーク”)も実戦に参加した。さして乗り物好きでもなかった小学生時分のぼくでさえもが、友達と“トマホークごっこ”に興じるほど戦闘機を身近に感じていたのだから、世界中の航空ファンはさぞかし色めきたったに違いない。
「その後は、決してよくはないにせよ、部数自体はおおむね横ばい。国内に目を向けてみると、明石家さんまさんと木村拓哉さんの特番(『SMAP×SMAPスペシャル さんタク』10年6月21日放送/フジテレビ)で木村さんがブルーインパルスに搭乗したことや、ドラマ『空飛ぶ広報室』(13年4月期放送/TBS)などの影響もあって、自衛隊に対する見方はずいぶん変わったように思います。毎年取材で入っている秋の『入間航空祭』なんて、ここ数年はものすごい人が来ますしね。まぁ、それが部数増につながるかと言ったら、全然そんなことはないのが難しいところですけどね(笑)」
「もちろん、デジタルというのも常に視野には入れています。ただ、年間12冊の本誌と『世界の傑作機』シリーズ6冊に加え、不定期の別冊やカレンダーなどの制作もある。それらを私を含めて3人の編集部で回している状況なので、現実的にそこまで手を出せないという事情もあるんです。昨年も『さらば オジロワシファントム 第302飛行隊』という別冊を出しましたが、今後しばらくは現行機の退役も続く。その“最後”を、一冊にまとめるというのも、私たちにしかできないことではありますから」
「実際に飛んでいる戦闘機にここまでピントが合っているということは、必然的に同じスペックの機体に乗って相対速度を合わせなきゃいけない。飛行機を真上から俯瞰で撮ろうと思えば、当然撮る側は背面飛行をしながらになる。
だから、『航空ファン』の表紙を飾るような写真を撮れる写真家は、世界でも数えるほどしかいないんです。自衛隊機を撮るときには、立川にある航空医学実験隊でパイロットと同等のメディカルチェックも必須ですしね」
そう話してくれたのは、文林堂が発行する専門誌『航空ファン』の三井一郎編集長。1952年の創刊以来、美麗な戦闘機グラビアと充実の読みものページで、文字どおり世の“航空ファン”たちをうならせてきた「超」がつく老舗の月刊誌だ。
在籍40年のベテラン編集者が牽引
世界情勢の激変が誌面にも影響
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●『航空ファン』
発行:文林堂
創刊:1952年11月
発売日:毎月21日発売
公式ブログは随時更新中
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