YouTube3000万回再生、今“バズる”28歳の映画監督がフリーターからチャンスを掴めたワケ
YouTubeで公開されている平井堅の『#302』が約500万回再生、King Gnuの 『The hole』は驚異の約3000万回再生……曲の良さもさることながら、まるで映画のような世界観の映像が話題を呼んだ。
新潟県で生まれ育った内山さん。高校卒業後すぐに上京するが、目指したのは映像クリエイターではなく、スタイリストだった。
「自分のいた日常を変えたくて新潟を出て東京に行こうと決めました。でも、大学進学には興味がなかった。それで、洋服が好きだったのでスタイリストになろうと決めたんです。進学校と呼ばれる学校に行っていたのですが、大学に行かないという選択肢を取ったからには必ず何者かになってやると思ってました。東京に行ったけど、結局ダメだったとは絶対に言われたくなかった」
高校卒業後に文化服装学院に入学した内山さんは、入学翌日から業界誌を頼りにスタイリストの事務所に直接出向いて直談判、すぐにアシスタントとして活動を始める。そして雑誌、広告制作などの現場でアシスタント業務を続けながら、自ら発表の場を作ってスタイリングも手掛けるように。
昼間は授業に出席し、残りの時間はスタイリストの業務をこなす日々。ところが、1年生の秋に転機が訪れる。
「活躍されているスタイリストが特別講師として話して下さったのですが、『スタイリストとしての才能やセンスを発揮するのは実力に関係なく何年も掛かる。それまでに諦めないで続けられた人だけにチャンスが与えられる』と仰っていたんです。
その時、才能の有無に関係なく、雑用を続けることのできた人だけにチャンスがあるという絶対的な業界の体制はおかしいと感じました。でも、次の目標が見つかったわけではなくて。とりあえずは“寝なくてもいい体作り”をしようと決意しました」
そこで、内山さんが始めたことは何だったのだろうか――。
それは、1日1本の映画を見るというノルマを自分に課したことだった。
「当時の自分にとって映画は寝れない体作りのために必要なトレーニングツールのようでした。1度見始めたら2時間は寝れないので、3時に寝るつもりでも5時まで寝る時間を引き延ばせるんです」
暇さえあればDVDを一度に何十本も借り、映画館に通った。そうやって見た映画の本数は何とその1年間で1200本。徹夜をして1日に8本見た日もあったという。
「見続けたおかげで映画には途方もない奥深い世界があることを知りました。授業でスタイリングの発表をする時も、スティーヴン・スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』を作品に落とし込んでみました、なんて言ってましたね」
20代半ばまでは年間800本は見ていたという内山さん。では、映画の道を志したのはいつだったのだろうか。
「専門学校の2年生の頃ですね。スタイリストのアシスタントとして映画の現場に行ったんです。衣装のアイロンがけをしながら初めて見た光景がとてつもなく魅力的でした」
そして、同級生がショップ店員やアシスタント職として巣立っていく中、ひとり「映画の道に行く」と宣言し、専門学校卒業後は新宿武蔵野館でアルバイトを続けた。
「劇場に出入りしている映画関係者の知り合いは少しずつ増えていきました。『何ができるかはわからないけど、映画の道に進みたいから映画の現場を紹介してください』と会う人会う人に言っていました」
手がけているのは、28歳の映画監督・内山拓也さん。現在公開されている映画『佐々木、イン、マイマイン』にて、初の長編作品に挑み、優れた新人に送られる新藤兼人賞の銀賞を受賞。SNSでも絶賛の声が相次ぎ、有名人からの推薦コメントや全国で映画を上映する劇場も続々と増えている。
今、各界から引っ張りだこの内山さん。しかし、ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。専門学校を卒業してからはフリーターとしてアルバイトを続ける日々が続いた。話題の動画や映画を生み出し続ける彼は、いかにしてチャンスを掴んだのか――。
今回は、そんな内山さんに地元の新潟を出てからスタイリストを経て、映画監督となった現在までの道のりを聞きました。
「何者かになる」ことを決意して上京
「寝なくてもいい体作り」のために見始めた映画
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ライター、合同会社インディペンデントフィルム代表社員。阪南大学経済学部非常勤講師、行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、映画、電子書籍製作にも関わる。
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映画『佐々木、イン、マイマイン』
新宿武蔵野館、渋谷シネクイント、池袋シネマ・ロサほか全国公開
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