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ひろゆきが「男も育児参加すべきか?」の議論に強い違和感を覚えるワケ

わからないなりに育児をやったとしても、子どもは死なない

ひろゆき

ひろゆき

 昭和の時代は、男性が子育てしなくても問題ない文化がありました。僕の父親が子育てをしていたというイメージもありません。  でも、令和の時代はそうも言っていられません。昨今は男女平等が浸透し、男性が子育てに参加する流れが出てきていて、フランスでは男性が子育てにコミットするのが当たり前です。  もし、男性が子育てに参加する必要がないとしたら、母親の負担減のためにベビーシッターを雇うべきですが、共働きでないと子育てできないほど日本は貧しい国になっているので、ベビーシッターを雇うのもなかなか難しい家庭が多いと思うのです。

いまだに「男の育児参加」が議論になる理由

 このように昭和と令和では子育ての環境も文化も違い、その変化速度は年々速くなっているので、今の子育てのやり方や考え方も20年後には「古い考え」になっている可能性が高いです。  にもかかわらず、いまだに「男性の育児参加はどうすべきか?」と考える人がいます。これは子育てをしている側の人が「子育ては大変」と強調しすぎるから起きている考えな気がします。  結果、男性に「子どもの世話は難しいものである」と伝わってしまい、「子どもの世話は男性にはできない」と思い込ませてしまう要因になっているではないかと。
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どのようなスタンスで男は育児に取り組むべき?
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