更新日:2021年07月11日 11:26
エンタメ

<純烈物語>純烈の本質を描いたラブレターと歌 母なる地・明治座初座長公演開幕!<第104回>

2年前「切られると思った」明治座で

 2019年1月、当時のメンバー・友井のスキャンダルが発覚した時に純烈は、前川清の50周年記念明治座公演への出演が決まっていた。当然「切られると思った」にもかかわらず、そうはならなかった。  稽古場へ連日押し寄せるマスコミ陣。自分たちが出ていいものかという葛藤を背負いながら本番に臨んだところ、前川が愛あるイジりをしたこともありネガティヴな空気は払しょくされ、酒井は「自分たちも人が見て笑うようなことをしてもいいんだ」と、ようやく思えたという。  いわば一度死んだ純烈が生まれ変わった、はじめの一歩がこの明治座。1873年開場の147年以上にも及ぶ歴史を誇り、独特の重みと伝統をオーラのごとく発散させる会場が、あの日は大衆娯楽特有の明るさをその表情に宿らせていた。  大御所だからこそその包容力は、前川となぞるところもあったはず。だから当時に受けた恩について語るさい、酒井は必ずその2つの名を羅列する。初座長が明治座というのは、偶然ではなく必然ととらえるべきだろう。 「結成から早いもので14年が経ちました。全国たくさんの皆様に支えていただきながら、明治座という歴史ある舞台に主演として立たせていただくことになりました。正直なところ、大舞台での主演にかなり緊張しておりますが、同時にこの上ない幸せも感じております」  公演で販売されるプログラムの冒頭には、4人の連名でそのような挨拶文が掲載されている。当初はリーダーとして酒井が骨組となるテキストを書こうと思ったが、一番早くLINEでまわってきた白川の文章を見て、これでいいと思い採用。まさに他の3人の共通する気持ちをしたためたものだった。

演じる側のプレッシャー

 母なる地・明治座へと戻れる恍惚と不安、二つ我にあり――そんな中で稽古を重ね7月2日、初日を迎えた。  明治座の3階フロアは、市のようになっている。出演者関連のグッズ売店のみならず、土産物を中心としたさまざまな商品が売られており、開演前も終演後も賑わう。  第1部が終わって休憩時間になり、案内されるがまま移動すると予約していたお弁当が用意されている。お腹を満たして席に戻り、第2部を楽しむ。  いうなれば大人のテーマパークが、長い歴史の中でシステマチックに確立されているのだ。だから一歩足を踏み入れて公演が終わり外へ出るまで、舞台やコンサートとともに明治座ならではの世界観へ浸ることができる。  それほどの存在感を誇る空間に食わぬようなステージを創りあげなければならないのだから、そこにこそ演じる側のプレッシャーがある。明治座の魔性ともいえる色気が漂う中、正午とともに場内が暗転し、ステージの幕が上がると、1920年代のニューヨーク……とあるナイトクラブの風景が広がった。
次のページ
1920年代のニューヨークという突飛な設定にしどろもどろ
1
2
3
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。

記事一覧へ
おすすめ記事
ハッシュタグ